大臣退任から1ヶ月。慌ただしく過ぎた夏。
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8月3日の内閣改造で総務大臣を退任させていただいてから、1ヶ月が経過しました。
選挙区に戻って色々な所に出掛けますと、お会いする方の多くが「顔がふっくらとして、元に戻ったね」「大臣の時はテレビで観ていても、頬がこけて、眼の下のクマが目立って、健康は大丈夫かと心配していましたよ」などと声をかけて下さいます。
確かに、1ヶ月で5キロも太りました。
また、大臣在任中は、常に首筋や腕の下側に発疹ができていました。アレルギー検査をしても私が弱いアレルゲンは無いということで原因が分からなかったのですが、退任して数日後には発疹が全て消え去りました。
発疹の原因は、心の疲れだったのでしょうか。「体って正直だな…」と驚きました。
振り返りますと、野党時代の平成24年9月に自民党広報本部長に就任し、「日本を、取り戻す。」をキャッチコピーにした各種広報物の作成や総裁政見放送の準備に追われながら衆議院議員選挙に突入。
選挙後の12月に政調会長に就任し、翌25年9月に再任。
そのまま続けて平成26年9月から総務大臣として2年11カ月も働きましたから、かれこれ4年11カ月間、父親の葬儀の時以外は休暇も取らずに走り続けてきたことになります。
大臣在任中は、朝から夕方までは答弁で国会の委員会室に居ることが多かったですので、大臣室に戻ってから退庁時間までに片付かない仕事は、夜間に自宅で処理していました。
就任時に幹部職員の早朝レク(委員会開始前の早朝に大臣に答弁書の説明をすること)を無くすことを決め、答弁資料はファックスで受け取り、深夜か早朝に自宅で読むようにしていました。
連日のように国会答弁が続く時期に、深夜に洗濯やアイロンかけをすることも辛く思えました。
自分で気付かないうちに、体も疲れ切っていたのだろうと思います。
最近になって、ようやく深い睡眠がとれるようになりました。
総務省は、消防行政や情報通信行政を所管していますから、都区内で震度5強以上の地震、全国で震度6弱以上の地震が起きた場合や、豪雨被害や重大事故が発生した場合には、真夜中でも緊急参集になります。15分以内には支度を終えて登庁できるように常に準備をしていました。
台風や豪雨の時には、放送・通信施設の被害状況や消防の活動状況の報告メールが公用スマホに頻繁に送信されてきますから、1時間ごとに目を覚ます習慣が身についてしまっていました。
健康体を取り戻し、念願だった1泊2日の温泉旅行を決行したいところではありましたが、7月に離婚をしてしまったので「独り温泉」も空しく思え、未だ1日の休暇も取れないままに、慌ただしく夏が過ぎてしまいました。
退任翌日の8月4日は、皇居や各宮家をお訪ねして大臣退任の記帳をさせていただきました。
その後、数日間をかけて、衆参両院の議長はじめ役員への挨拶廻り、自民党本部役員や衆参両院の総務省関係委員会の皆様への挨拶廻り。
奈良県に戻って、長年の警護でお世話になった警察の皆様に御礼を申し上げたり、地元メディアに退任挨拶に伺ったり。
8月は選挙区で夏祭りなどの行事も多く、長年、欠席続きでしたので、可能な限り出席しました。
奈良県では、8月から10月にかけて市町村の地方選挙が続きますので、応援廻りも頑張っているところです。
何と言っても、この夏は掃除が大変でした。
7月の都議選大敗直後から内閣改造が報道され始め、大臣室については、日曜日にこっそり出掛けては掃除を進めていましたので、改造日までには、机の引き出しや棚の拭き掃除まで完璧に仕上げることが出来ました。
自宅に持ち帰って作業をしていた総務省関係の書類や自宅で読んでいた答弁資料については、ゴミ置き場にそのまま出すわけにはいかず、箱に詰めて「溶解処分」にしなければなりません。
こちらは、退任後の8月中に、東京で用事がある日の夜間に作業を続けました。
頭が痛いのが、衆議院議員会館の議員室の片付けです。現在も、全く手付かずです。
平成24年秋以降、ずっと党本部か大臣室が仕事場だった為、概ね5年前で時間が止まった状態です。当時の議員立法に使っていた古い資料も山積みのまま。
臨時国会召集までには掃除を終えないと仕事が出来ませんので、何とかしなくては…。