普天間飛行場の辺野古移設について
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昨日、防衛省沖縄防衛局が、普天間飛行場(宜野湾市)の移設に向けて、辺野古沿岸部(名護市)の埋め立て申請書を沖縄県に提出しました。
今後は、公有水面埋立法に基づき、埋め立て許可の権限を持っておられる沖縄県知事が、可否を判断されることになります。
国土面積の0・6%に約74%の在日米軍施設・区域を抱える沖縄県には、県内移設については厳しい声が多いことを承知しています。
しかし、何とかご理解を求め続ける他に、安倍内閣の選択肢は無いのだろうと思います。
そもそも、この問題は、普天間飛行場が市街地に位置し、住宅や学校が密接していることによる「墜落事故不安」「騒音」「街造りへの制約」といった宜野湾市民の負担軽減が目的でした。
平成8年の橋本首相とモンデール駐日大使の「普天間飛行場返還・移設合意」以降、日米両国政府や沖縄県関係者が苦心しながら検討を続け、平成18年に「辺野古移設案」で一旦は決着を見ました(『再編実施の為の日米ロードマップ』)。
平成18年当時も、沖縄県の方々は「海外や県外への移設」を望んでおられました。
しかし、いずれも「安全保障上の観点から困難」な状況の中で、島袋名護市長(当時)や自民党県議会議員など多くの地元政治家が、自らの政治生命をかけてリスクをとって下さり、「普天間の早急な危険性除去を考えると、辺野古へのV字型滑走路建設を『ベターなもの』と考えるしかない」という流れになりつつあったのです。
第1次安倍内閣時代の平成19年12月12日には、政府と沖縄県関係者で組織される「普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会」の席上、普天間飛行場の辺野古移設に係る「工程表」が配布されました。
仮にこの「工程表」通りに順調に進捗していたならば、平成21年には「環境影響評価手続」と「埋立申請手続き」が終了し、平成22年から「埋立工事」と「飛行場施設工事」が始まり、平成26年末頃には移設が完成する予定でした。
ところが、移設先を「海外。最低でも県外」と断言していた鳩山氏が率いる民主党が政権をとったことで、状況は一変。
沖縄県住民の皆様は県外移設への大きな期待を抱かれ、それまで苦渋の選択として辺野古移設にご尽力下さっていた自民党沖縄県連所属の政治家達も「県外移設」を求める立場に転じられました。また、政権交代直後の名護市長選挙では、島袋市長が落選し、辺野古移設反対派の市長が誕生しました。
移設先は白紙に戻り、普天間飛行場の危険性は持続したまま時が過ぎました。
先般の日米首脳会談では、安倍総理とオバマ大統領が「普天間飛行場移設」と「嘉手納以南の土地返還」を早期に進めることで一致。また、先々週の小野寺防衛大臣とヘーゲル米国防長官の電話会談でも、「辺野古への移設」を早期に進めることで一致したと聞いています。
これまで国会では、「そもそも、普天間飛行場は、日本の国防上どのような機能を果たしているのか」「普天間飛行場の機能は、沖縄県外や国外でも確保できるのか」といった観点から様々な議論がなされてきました。
政府からは、移設先を沖縄県内とせざるを得ない国防上の理由として、東アジアの各地域に距離的に近い沖縄の「地理的優位性」、陸上部隊・航空部隊を統合した組織構造を有する在沖縄海兵隊の「機動性」「即応性」が挙げられています。
そして、何よりも「普天間飛行場の危険性を一刻も早く除去するための現実的選択肢」が辺野古への移設だということです。
先週の党大会前日の3月16日に、自民党沖縄県連の幹部の方々が政調会長室を訪ねて下さり、「引き続き、県外移設を求めたい」との切実なお声を伺いました。
民主党への政権交代前には、地元の方々に辺野古移設へのご理解をいただく為に必死の努力をして下さっていたのに、民主党政権の度々の方針転換により翻弄され、長年の努力が水泡と帰したのですから、その怒りや悔しさは当然のことです。
安倍内閣とともに自民党役員も、「普天間の固定化は絶対にあってはならない」という強い思いを胸に、誠実に丁寧に説明を申し上げ続け、御地元のご理解を賜われる日を目指して歩まなければならないと思っております。