「美しく強い日本」へ⑧:リスクの最小化
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とりわけ安全保障体制に於ける我が国の脆弱性を考えた時、長年に渡って「リスクへの備えさえも認めない空気」に日本社会が支配されてきたことが、大きな原因であると思います。
政権与党時代には、様々な苦い経験をしました。
とても古い話ですが、イラク戦争開戦前、私は経済産業副大臣を務めていました。
開戦直前の副大臣会議で、「開戦直後から各省庁が対応するべき事項について、今のうちに摺合せをしておくべきだ」という旨の提案をしましたら、「平和の為の外交努力を続けている最中に、官邸内で戦争を前提とした議論をしたことが漏れたら、大変なことになる」という反論が相次ぎ、孤立してしまいました。
確かに一部の左傾マスコミからは叩かれるでしょうが、国際政治の基本は「ネバー・セイ・ネバー」。
戦争アレルギーから「備えの議論」さえタブー視して、必要な対策の構築や情報共有が出来ない現実に、危うさを感じました。
この会議の前から、経済産業省・資源エネルギー庁では、中東への依存度が高い原油に関しては、開戦後に破壊されるかもしれない油田の数や輸送困難性についてシミュレーションを行い、危機の段階に応じた対応策を準備していました。
ところが、開戦前の作業について知った当時の野党議員からは、後に批判の声が上がりました。
国民に対して「戦争など絶対に起きないように平和の為の外交努力をしていますから、安心して下さい」と言い続けるよりも、むしろ「政府は、万が一の場合も想定して準備をしています」と伝える方が、本当の安心に繋がるのではないか?…と疑問に思ったものでした。
テロリズムや領海侵犯などに対する備えを検討する場合にも、本来は「自衛隊の能力と装備を活用した方が、実効性が担保できるケース」であるにも拘わらず、平和ボケ政治家や一部マスコミの反発を恐れて、「できるだけ自衛隊を使わない様にしよう」とばかりに「セカンドベストの選択」を続けてきたツケが、ここ数年で一挙に廻ってきていると感じます。
米国のニューヨークで起きた9・11テロの直後には、官邸や原発警護の在り方が課題となりました。
当時は、私を含む多くの自民党議員が「自衛隊による警護」を主張していましたが、重鎮議員の「国民に銃を向けるのか!」という一喝で流れが変わり、結局は警察を中心に警護をしていただくこととなりました。
まだ吹けば飛ぶような「若手議員」だった自らの無力さに肩を落とした出来事でしたが、近年の防衛予算(防衛関係研究費も含めて)の削減や自衛官人員削減には、強い危機感を募らせています。
日本の周辺環境の緊迫を見るにつけ、与党になって予算措置ができる立場になった時には、改善したい優先事項です。
自衛官や彼らを支える御家族の生活環境も劣悪です。
全国の自衛隊官舎のおよそ15%が築40年を超え、25%が築30年~40年を経過しており、老朽化だけではなく耐震構造に問題があるということです。
昨今は、「公務員叩き」をする番組がウケているようですが、命を懸けて国家国民を護る方々の安全を確保する為にも、官舎を建て替える予算措置は必要です。
昨春の原子力発電所事故の後には、「電源や建屋天井の脆弱性が世界に発信されたことによって、原発テロのリスクが高まったのではないか」「津波対策で電源や燃料タンクを高地に移したことで、テロの標的になり易くなったのではないか」などと不安に苛まれた私は、委員会で原発テロ対策を質しましたが、当時の閣僚答弁は実に能天気なものでした。
昨年にも本欄に書きましたが、1990年代には、自民党議員たちが「地下原発」の検討を進めていました。
地下原発については、1975年に資源エネルギー庁が検討をはじめ、多くの民間研究機関でも研究が進められてきました。
海外では、「ハイテク兵器への強靭性」が評価され、軍事用原子炉、研究炉、発電炉に活用されてきましたが、日本の研究でも、「廃炉時の経済性」「放射性物質封じ込めの容易性」「耐震性」などが評価されていました。
ところが、自民党の議員連盟が原発の地下立地を真剣に検討していた1990年代には、「原発を地下に造るということになると、原発が危険なものだと誤解されてしまう」という強い反対が出て、実現には至らなかったということです。
今期の私は、「自衛隊法改正案」「森林法改正案」「地下水規制法案」等、主に国民の生命や資源を守る為に必要だと思われる法律案を書く作業に没頭してきました。現在は、「安全保障土地法」の起草作業に苦心しています。
ところが、常に「実際に、貴女が懸念するような事態は起きているのか?先ずは事例を示せ」という議論から始まってしまい、「これから日本が直面するかもしれない事態に対する『備えの為の法整備』の必要性」を訴えても理解を得にくい空気が存在します。
何事に於いても「最悪の事態」を想定して、備えをしておくことは、国家の重要な責務です。
…とは言っても、政治家は選挙によって選ばれますので、結果的に国の方向性を決定するのは時々の国民世論だということになりますが、それでも国民の生命や国家主権に係わる懸念事項については勇気を持って主権者に説明を続け、理解を得る努力を惜しんではならないと思っています。