中山文部科学大臣の陳謝は残念
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中山文部科学大臣が、歴史教科書について「極めて自虐的」「従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と発言された事に対して、一部の在日韓国人や韓国メディアや日本の野党が反発し、結局、中山大臣が陳謝するに至りました。
私は、中山大臣のご発言内容は正しく、陳謝する必要など無かったと考えています。日本の歴史教科書が過度に自虐的である事も、「従軍慰安婦」という文言が不正確である事も事実だからです。
中国の学習指導要領にあたるものには、「祖国を熱愛すること、中国共産党を熱愛すること・・」等が明記されていますし、日本の学習指導要領も「自国の歴史・伝統・文化に誇りと愛情が持てる」「先人の苦心や努力を知り、その恩恵への感謝の気持ちが持てる」教育を目指す内容になっています。自国に愛情や誇りを持たせる教育は、万国の常識です。
ところが、日本の教科書からは偉業を成し遂げた先人のエピソードはどんどんカットされています。また、旧日本軍の海外での進軍は「侵略」と表現されているのに、ロシア等他国軍の進軍は「南下」などと表現されています。
昨年7月に、検定済みの高校生用歴史教科書の不正確で自虐的な記述を個々に取り上げて、文部科学省の担当課長と議論を行ったことがありました。
複数の教科書に使用されていた「従軍慰安婦」という文言について、「『従軍』とは『従軍看護婦』や『従軍記者』等の『軍属』を表した言葉なので、戦争中に『従軍慰安婦』などという言葉は存在しなかったはずだ。政府の国会答弁でもそうなっていたはずだ」という指摘を行いましたところ、文部科学省側は、「確かに存在しなかった言葉とされているが、歴史事典の中には『従軍慰安婦』という言葉を書いてあるものも有るので」という理解し難い説明をしていました。
「現職総理の靖国神社参拝や国旗・国歌法の制定などは、復古的ナショナリズムのあらわれといえよう」と書いてある教科書も有りました。「国会で成立した法律や現職総理の行為を批判する記述は問題だ」と指摘しますと、文部科学省側は「『・・といえよう』と断定的でない表現を使っているので問題は無い」と反論。
南京事件では、「中国側は30万人以上の人々が日本軍によって虐殺されたと発表している」と記している教科書も有りましたが、当時の南京の人口を超える人数を殺すのは無理でしょう。文科省は「例え数字が史実と違っていても、中国側が発表した数字として書いてあるので問題ありません」と主張する始末。
万事がこの調子で、教科書検定基準や国策としての教育の在り方に強い疑問を感じたものでした。
しかし、最後に判ったのは、文部科学省が好んで自虐的教科書を世に送り出しているわけではなく、政府の1機関として「政府の歴史見解」に拘束されているという事でした。
そう言えば、私も副大臣就任時に、この政府見解を逸脱しないようにと文書を渡された事を思い出しています。
現在の政府見解は、平成7年の村山富市首相談話をそのまま踏襲しています。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました(後略)」と痛切な反省とお詫びの気持ちを表明した見解です。
当該戦争が「自衛戦争」か「侵略戦争」かについての判別は、国際法上「自己決定権」が認められています。先の大戦の折の開戦の詔書を読む限り、自衛戦争としての国家意思が明白ですが、村山見解によって、日本は世界で唯一、自ら「侵略行為」と「民族責任論」を認め、「条約違反」を宣言した国家となりました。
また、2国間条約に基く領土割譲や経済権益設定も含めて反省をしている様ですが、これが正義だとなると、多くの欧米諸国が謝罪合戦を展開しなければならなくなります。
現在の価値観で過去を裁くのは簡単な事ですが、「当時の国際情勢や価値観の中で、日本が選択しえた100%正しい道」なるものを、自信を持って示せる政治家は居るのでしょうか。
教科書記述内容までを拘束しているこの不見識な政府見解を修正する作業こそが、日本への愛情を持った次世代を育て得る教育実現への第1歩だと思います。小泉総理や細田官房長官の英断を求めます。
そして、学習指導要領の精神とかけ離れた教科書を正すのは、中山大臣の責務だと思います。大臣ご就任前から、素晴らしい教育論を展開されてきた方です。陳謝なさるよりも、信念を貫いて改革をして下さることを期待します。
私は、中山大臣のご発言内容は正しく、陳謝する必要など無かったと考えています。日本の歴史教科書が過度に自虐的である事も、「従軍慰安婦」という文言が不正確である事も事実だからです。
中国の学習指導要領にあたるものには、「祖国を熱愛すること、中国共産党を熱愛すること・・」等が明記されていますし、日本の学習指導要領も「自国の歴史・伝統・文化に誇りと愛情が持てる」「先人の苦心や努力を知り、その恩恵への感謝の気持ちが持てる」教育を目指す内容になっています。自国に愛情や誇りを持たせる教育は、万国の常識です。
ところが、日本の教科書からは偉業を成し遂げた先人のエピソードはどんどんカットされています。また、旧日本軍の海外での進軍は「侵略」と表現されているのに、ロシア等他国軍の進軍は「南下」などと表現されています。
昨年7月に、検定済みの高校生用歴史教科書の不正確で自虐的な記述を個々に取り上げて、文部科学省の担当課長と議論を行ったことがありました。
複数の教科書に使用されていた「従軍慰安婦」という文言について、「『従軍』とは『従軍看護婦』や『従軍記者』等の『軍属』を表した言葉なので、戦争中に『従軍慰安婦』などという言葉は存在しなかったはずだ。政府の国会答弁でもそうなっていたはずだ」という指摘を行いましたところ、文部科学省側は、「確かに存在しなかった言葉とされているが、歴史事典の中には『従軍慰安婦』という言葉を書いてあるものも有るので」という理解し難い説明をしていました。
「現職総理の靖国神社参拝や国旗・国歌法の制定などは、復古的ナショナリズムのあらわれといえよう」と書いてある教科書も有りました。「国会で成立した法律や現職総理の行為を批判する記述は問題だ」と指摘しますと、文部科学省側は「『・・といえよう』と断定的でない表現を使っているので問題は無い」と反論。
南京事件では、「中国側は30万人以上の人々が日本軍によって虐殺されたと発表している」と記している教科書も有りましたが、当時の南京の人口を超える人数を殺すのは無理でしょう。文科省は「例え数字が史実と違っていても、中国側が発表した数字として書いてあるので問題ありません」と主張する始末。
万事がこの調子で、教科書検定基準や国策としての教育の在り方に強い疑問を感じたものでした。
しかし、最後に判ったのは、文部科学省が好んで自虐的教科書を世に送り出しているわけではなく、政府の1機関として「政府の歴史見解」に拘束されているという事でした。
そう言えば、私も副大臣就任時に、この政府見解を逸脱しないようにと文書を渡された事を思い出しています。
現在の政府見解は、平成7年の村山富市首相談話をそのまま踏襲しています。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました(後略)」と痛切な反省とお詫びの気持ちを表明した見解です。
当該戦争が「自衛戦争」か「侵略戦争」かについての判別は、国際法上「自己決定権」が認められています。先の大戦の折の開戦の詔書を読む限り、自衛戦争としての国家意思が明白ですが、村山見解によって、日本は世界で唯一、自ら「侵略行為」と「民族責任論」を認め、「条約違反」を宣言した国家となりました。
また、2国間条約に基く領土割譲や経済権益設定も含めて反省をしている様ですが、これが正義だとなると、多くの欧米諸国が謝罪合戦を展開しなければならなくなります。
現在の価値観で過去を裁くのは簡単な事ですが、「当時の国際情勢や価値観の中で、日本が選択しえた100%正しい道」なるものを、自信を持って示せる政治家は居るのでしょうか。
教科書記述内容までを拘束しているこの不見識な政府見解を修正する作業こそが、日本への愛情を持った次世代を育て得る教育実現への第1歩だと思います。小泉総理や細田官房長官の英断を求めます。
そして、学習指導要領の精神とかけ離れた教科書を正すのは、中山大臣の責務だと思います。大臣ご就任前から、素晴らしい教育論を展開されてきた方です。陳謝なさるよりも、信念を貫いて改革をして下さることを期待します。