『ディフェンス』誌掲載小論
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《自衛隊の皆様のご活躍に敬意と感謝の気持ちを込めて提言したいこと》
【『正論』誌上で行った提案】
今夏は、月刊誌『正論』7月号に、「より有効な手段による自国民救出・保護を可能とする為に自衛隊の能力と装備を活用すべきである」として、自衛隊法及び憲法の改正を提案する論文を書かせていただいた。
海外で日本人が拉致され生命の危険に晒された場合に現在の日本国政府が取り得る手段は、第1に「外交保護権の発動」、第2に「警察官の派遣」ということになる。
国家は国際法上の権利として「外交保護権」を有するのだが、その手法は、当該外国政府に対して自国民の保護を求める外交上の要求・申し入れでしかない。 ペルー日本大使公邸事件では成功したが、現地が無政府状態である場合や当該外国政府との外交関係が良好でない場合、またはその外国政府自体が犯罪に加担している場合には、外交保護権によって自国民を救出することは出来ない。
警察官による自国民救出にも限界が有る。
昨年7月の刑法改正で国外犯規定が新設され、警察庁の国際テロ緊急展開チーム(TRT)による人質交渉等が可能になった。TRTは、今年四月の改正警察法施行により「国際テロ特別機動展開部隊」へと改組され、邦人人質事件に対応する為にイラクへも派遣された。
しかし、この「国際テロ特別機動展開部隊」は常設の部隊ではなく、情報収集、人質救出交渉、爆発物処理、鑑識等の専門家を事件発生時に招集するというものなので、武器使用を伴う自国民救出作戦実行部隊としての性質は持たないと考えられる。
更に、警察庁要員の海外派遣は「捜査権を持つ当該外国からの支援要請を前提として」「当該外国の了解を得た上で」行えるものである為、当該外国政府が犯罪を黙認したり犯人を支援したりしているケースでは、警察官による自国民救出は不可能なのだ。
そこで、「当該外国政府の協力が期待できない最悪のケースに限っては自衛隊を派遣する他ない」と考えたわけだが、「自衛権」の発動には、①国家国民に対する外部からの急迫不正の侵害があり、②これを排除する為に他の適当な手段がなく、③必要最小限度の実力行使に限られる、という3要件を満たす事が求められる。
政府によると、大抵のケースでは2番目の要件に抵触してしまうので、自衛権の発動は困難だということだ。つまり、僅かでも当該外国政府との交渉ルートが存在する限りは「他の適当な手段がない」ということにはならないのだ。
竹島のように領土保全が侵害されているケースですら、前防衛庁長官は「大韓民国と我が国との外交上の関係、色々なものを勘案致しまして、やはり外交努力というものが必要なのだと思っています」と国会で答弁し、自衛権発動の可能性を否定している。
在外公館や在外自国民への武力攻撃が発生した場合でさえ、自衛権の発動は想定し難いとの前官房長官答弁も有った。
自衛権は各国共通に認められた国際慣習法上の権利だが、米国やドイツでは、国内法により、軍隊による在外邦人の救出・保護を合法化している。
私は、『正論』誌上で、自衛権を広義に解釈し、在外自国民を自衛権の対象と位置付けた上で、その救出・保護を自衛隊の任務の1つとして、「自衛隊法」及び「武力攻撃事態法」等の関連法に追記しようという提案を行った。
法律には、①在外自国民に対する脅威が生命・身体の安全に関わるものであり、②当該外国が外国人保護義務違反を犯していて外交保護権による解決が期待出来ず、③武器使用は自国民救出という目的達成の為に必要最小限のものとし、④目的が達成されたら、当該外国の「領土保全」と「政治的独立」を侵害する事なく当該国領域より即時撤退する、という原則を書き込む。更には、憲法にも自国民救出行動の根拠条文を置くべきことを記した。
【自衛官からの手紙】
『正論』が発売されると同時に、実に多くの現職自衛官の方々から賛意のお手紙やeメールを戴いた。
そのうち相当数のお手紙は、国民と領土を守る為に厳しい訓練に励んでいるにも関わらず、本来の目的の為に自衛隊の能力と装備が活用されず、期待もされていないことへの苛立ちを伝えてきていた。
ある手紙は、「私は常に、日本の平和を守り国民の安全を確保する仕事に誇りを持ち、使命感を持って訓練に臨んでまいりましたが、国会審議等の報道に接する度に、国民からは全く期待されていないことを思い知らされ、虚しい気持ちになります」と無力感を訴え、別の手紙には、「国内の災害時には、被災者から感謝の言葉を戴き、きつい仕事でもやりがいを感じましたが、海外の紛争被害者救済に貢献する話になると、空気は一変。自衛隊への不信感やアレルギーが根強いことにショックを受けます」と記されていた。
殆どのお手紙から自衛官達の無念が滲み出ていて、切なさに涙ぐみながら拝読した。
かなり具体的なエピソードやご意見を書いて下さっていたeメールがあったので、ここにご紹介したい。メールの送信者は、航空自衛隊に勤務しておられる方だ。「テポドンが飛んできた時、偵察航空隊のRF4偵察機二機が離陸準備して滑走路に入りました。『ウインド・ゼロスリーゼロアットフォーノットクリアードフォー・テイクオフ』の代わりに来たのは『ミッション・イズ・キャンセルド・バイ・スペシャルオーダー』でした。要するに、相手を刺激しないようにということです。いったい刺激しているのはどちらでしょう。(中略)事実は、滑走路まで入ったRF4偵察機二機が呼び戻されたということです」「尖閣諸島、竹島ともども、RF4偵察機はお呼びがかかりません。偵察任務はいち早い情報の収集によって、事後の作戦を優位に進める為に存在しますが。実は、有人偵察機を飛ばすということは『お宅さんの不法行為、それなりの落とし前をつける覚悟をしなさいよ』という国家意思表示になるのです。これが衛星や無人偵察機だと、及び腰という感じで見られてしまいます。十三年間、固有の日本領土である竹島、尖閣諸島を飛ぶことはありませんでした」「実際、邦人救出の為に作戦行動をとる・・というのは、現訓練での想定状況に有りません。C130では余りにも時間がかかり過ぎます」。
警察ならば良くても自衛隊なら許さない、という空気への無念を伝える手紙やeメール
も多々あった。
「テロ対策としての原発や官邸警備に自衛隊を活用せず、警察に任せることとなりました。あの議論の折に、高市さんは経済産業省の副大臣をなさっており、原子力発電所を所管する官庁に居られるゆえの危機感からでしょうか、『原発警備は自衛隊にお願いすべきだ』と発言されていたのを記憶致しております。ところが、自民党の有力政治家が『国民に銃を向けるのか』と言い出して、結局、警察が担当することとなりました。別に警察が担当して下さっても構わないのですが、『国民に銃を向ける』という表現は、国民を守ることを任務と考えている我々に対する侮辱です。あまりにも酷いと感じました。自民党ですら、自衛隊を信頼して下さらないのでしょうか」「プルトニウム輸送の際に、輸送船を目的地フランスまで護衛したのは海上保安庁の巡視船でしたね。何の為に護衛艦が有るのでしょうか」等々・・。
【セカンド・ベストの手段を選択してはならない】
今年7月1日に、防衛庁・自衛隊は創設50周年を迎えた。
自衛官からの手紙に見るような自衛隊への無理解は一部に現存するものの、10年前と比べてみると、「世の中の空気」は随分変わったと思う。国際貢献現場で数々の実績を上げた自衛隊の活躍や、国際テロリズムの脅威に対する国民の不安などが原因だろう。
政治も大きく変わった。以前は、国会審議でも「安全な所ならば自衛隊機で、危険な所ならば民間航空機で」などという非常識な理屈がまかり通っていたが、昨年来、小泉首相や石破防衛庁長官は「危険が想定される地域だからこそ、事前調査能力、危険回避能力、インフラ復興や輸送技術を持った組織である自衛隊を先ず派遣すべき」との考え方を毅然と貫いている。
しかしながら、まだ国会や一部マスコミでは、「自衛隊の海外派遣は日本の軍国主義復活への脅威を周辺諸国に与える」との旧来型の反対論も根強い。
そのせいか、依然として政府側は、「自衛隊の新たな任務の創設に繋がる議論は極力避けよう」としている様な印象を受ける。
まさか「海外に派遣された自衛隊が、突然に侵略部隊と化して植民地を作るのではないか」などと本気で心配している国民は居ないはずだと思うのだが、国民の代表が集まる国会の場では、自衛隊の能力や装備を活用する議論よりも、その手足を縛る議論が優先されてきたのが現実だ。
それでも、現在の日本を取り巻く環境は、自衛隊の多様な場面での活躍を期待せざるを得ない状況にある。
北朝鮮のミサイルや中国の軍備増強、国際テロリズムの脅威に加えて、南シナ海やマラッカ海峡で多発している海賊事件も看過できない。
ロシア、韓国、中国との間には領土問題が存在し、一部では急速に緊張が高まっている。エネルギー政策も、国家安全保障と切り離して考えていると大変な事になる。中国は日本の排他的経済水域内にて強引な調査活動を行っているし、プルサーマル計画実現に今しばらくの時間が必要な現状にあって、プルトニウム海上輸送の安全確保にも十分な取り組みが必要だ。
外国人による邦人拉致や誘拐、国際犯罪グループによる銃や麻薬の密輸も、国民生活の安全を脅かす不安材料として認識されるようになった。サイバーテロの恐怖も目前に有る。
防衛庁、海上保安庁、警察庁、法務省、外務省、経済産業省等、関係機関が密に連携をとって必要な対策を講じていかなければ、国家の構成要素たる国民と領土と主権を守り抜くことが出来ないことは明白だ。
そして、対策作りの上で大切なのは、「目的を達成する為に最も確実で有効な手段を選択する」ことだ。決して自衛隊の存在をタブー視して、他の機関によるセカンド・ベストの手段で代替することがあってはならない。国民の生命を守り抜くことは、国家の最も重要な責務だからだ。
【憲法改正のススメ】
最も確実で有効な手段をもって国家を守れる体制作りを行う為には、まず、私たち国民が「国家の本質と機能」をよく理解し、その構成員として安心して保護を受けると同時に、国家の為に生命を賭して働く人々への敬意や感謝の思いを持つ事が大切だ。国民との黙契の上に立って初めて、政府は主権国家として当然行使すべき権利を行使することが出来、自国民に対する責任を果たせるのだ。
近いうちに本格化するに違いない憲法改正論議は、まさに「国家なるものの本質」を全国民が熟考する絶好の機会となるだろう。
平成12年1月20日に衆参両院に設置された憲法調査会は、間もなく5年間の調査期間を終える。国会法102条6項は、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため、各議院に憲法調査会を設ける」として、憲法調査会の設置趣旨を「調査」に限定している。
しかし、来年の年明けには、憲法調査会の調査報告書が両院議長に提出されたことを受けて、具体的な改憲論議がスタートするだろう。
また、自民党も、昨秋の総選挙で「立党50年の2005年11月までに新しい憲法草案を作る」との政権公約を発表している。
衆議院憲法調査会では、「憲法と現実の乖離が有る」という点については全会派が合意した。それでもなお共産党や社民党は改憲そのものには反対しているが、最早、現行憲法は、解釈や運用によって現実との乖離を埋めようにも措置しきれない段階に来ている。 自衛隊の活動に関する根拠条文もそうである。無制限に解釈を広げると、内容の客観性と法の安定性が失われてしまう。
また、現行憲法は、昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効前にGHQの関与を受けて制定されている。占領下の憲法制定関与はハーグ陸戦法規違反であり、例え現行憲法の内容が完全無欠なものであったとしても、独立した主権国家の国民としてのプライドにかけて「日本の心と言葉をもった憲法」へと書き直すべきだと思っている。
それでは、どのような憲法を創るべきかという点だが、誌面の都合上、国家安全保障に関わる部分についてのみ提案してみたい。
まず、前文には、目指すべき国家像を書き込む。「国家はどうあるべきか」、「国民はどうあるべきか」を冒頭に示すのだ。
国家は、その構成要素である「国民」「領土」「独立統治(主権)」を守り抜くべきであり、一方、国民は、国家の構成員として公益に貢献すべきものである。国民の「権利」と「義務」、「自由」と「責任」のバランスに配慮した書き方が望ましい。
更に、「地球上からテロリズムや軍事的紛争が除去されることを強く願う精神」を示す。
現行憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と記されているが、戦争を起こすのは「自国政府」だけではない。
また、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の下りも、「北朝鮮の前で同じ事が言えるのか?」と考えてみると、自国民保護を困難にするだけの文言である。
9条1項も、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としているが、戦争は「放棄します」と宣言して一方的に放棄できるものではない。
続く2項も、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めているが、いずれの主権国家においても、「自衛の為の交戦権」と「戦力」の保持は常識である。1928年の「不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)」でさえ、自衛権に基づく戦争と軍備を容認しており、自衛戦争か否かについては「自己決定権」を認めている。
そこで、新憲法では、9条に該当する部分に、次の様な内容を書き込む。
①「日本国は、国民と領土と独立統治(主権)を守る為、国家固有の権利としての自衛権を保持する」、
②「日本国は自衛の為の戦力(国防軍)を持てる」、
③「国防軍の最高司令官は、内閣総理大臣とする(文民統制)」、
④「他国の領土保全や政治的独立を侵害する戦争は、これを行わない」、
⑤「日本国は、人道的支援及び世界の平和と安全の維持に寄与する国際的活動に参加する。その目的達成の為に必要な場合には、国防軍を派遣することが出来る」、
⑥「日本国民は、国防の義務を負う。有事の際、政府による防衛行動の円滑な遂行、及び法律に定める私権の一部制限に協力する」。
また、国家安全保障上の機密事項と「表現の自由」「会議の公開」の関係についても、検討の必要を感じている。
昨年末、自衛隊のイラク派遣に関する国会審議が行われていたが、携行武器の名称や射程距離まで含めた武器の性能、自衛隊の移動ルートまでが公に議論され、マスコミはこれを詳細に報道していた。派遣要員の安全を懸念する声も上がっていた。
現行憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」としているが、国家の安全保障や人命に関わる場合に限って、数年間の情報公開不可能期間を設定出来る根拠条文を追加したい。
また、57条1項では、「両議院の会議は公開とする。但し、出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる」としているが、与野党の議席数が接近してくると、「3分の2以上の多数」を秘密会開催要件とするとハードルが高過ぎて機密は守れない。これも国家の安全保障や人命に関わる場合に限って「過半数」とすべきだと思う。
この他にも、大規模テロや自然災害など「非常事態」に対応する法律の根拠条文を新設し、「内閣総理大臣への権力集中」や「国民の自由や権利の制限」を書くべきだろうし、「国家権力行使の代替措置」、つまり、内閣総理大臣が職務執行不能状態になった場合の権限継承順位も憲法事項であるべきだと考える。
そして、99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」としているが、ここには「国民の憲法尊重擁護義務」も追加したい。
諸外国の憲法と比較してみても、日本の憲法改正手続き規定が格別に厳しい要件を課しているとは思わない。96条の規定よりもむしろ、憲法改正や自衛隊をタブー視してきた世の中の空気と政治の怠慢こそが、国民の生命や国家の主権を守る為に必要な行為すら担
保できない現行憲法に57年間もしがみついてきた原因なのだろうと思う。
今夏の参議院選挙で選出された国会議員は、今年から6年間もの任期を務めるのだから、ほぼ確実に憲法改正作業に携わる人々である。年金問題が最大の争点となったことで、選挙期間中に、候補者の憲法観や国家観を聴くことが叶わなかったことを残念に思っている。
各地で活躍されている自衛隊の皆様に、心からの感謝と敬意を捧げつつ、実効的な任務遂行を可能とする法整備と国防に関する国民の理解が進むことを願っている。
【『正論』誌上で行った提案】
今夏は、月刊誌『正論』7月号に、「より有効な手段による自国民救出・保護を可能とする為に自衛隊の能力と装備を活用すべきである」として、自衛隊法及び憲法の改正を提案する論文を書かせていただいた。
海外で日本人が拉致され生命の危険に晒された場合に現在の日本国政府が取り得る手段は、第1に「外交保護権の発動」、第2に「警察官の派遣」ということになる。
国家は国際法上の権利として「外交保護権」を有するのだが、その手法は、当該外国政府に対して自国民の保護を求める外交上の要求・申し入れでしかない。 ペルー日本大使公邸事件では成功したが、現地が無政府状態である場合や当該外国政府との外交関係が良好でない場合、またはその外国政府自体が犯罪に加担している場合には、外交保護権によって自国民を救出することは出来ない。
警察官による自国民救出にも限界が有る。
昨年7月の刑法改正で国外犯規定が新設され、警察庁の国際テロ緊急展開チーム(TRT)による人質交渉等が可能になった。TRTは、今年四月の改正警察法施行により「国際テロ特別機動展開部隊」へと改組され、邦人人質事件に対応する為にイラクへも派遣された。
しかし、この「国際テロ特別機動展開部隊」は常設の部隊ではなく、情報収集、人質救出交渉、爆発物処理、鑑識等の専門家を事件発生時に招集するというものなので、武器使用を伴う自国民救出作戦実行部隊としての性質は持たないと考えられる。
更に、警察庁要員の海外派遣は「捜査権を持つ当該外国からの支援要請を前提として」「当該外国の了解を得た上で」行えるものである為、当該外国政府が犯罪を黙認したり犯人を支援したりしているケースでは、警察官による自国民救出は不可能なのだ。
そこで、「当該外国政府の協力が期待できない最悪のケースに限っては自衛隊を派遣する他ない」と考えたわけだが、「自衛権」の発動には、①国家国民に対する外部からの急迫不正の侵害があり、②これを排除する為に他の適当な手段がなく、③必要最小限度の実力行使に限られる、という3要件を満たす事が求められる。
政府によると、大抵のケースでは2番目の要件に抵触してしまうので、自衛権の発動は困難だということだ。つまり、僅かでも当該外国政府との交渉ルートが存在する限りは「他の適当な手段がない」ということにはならないのだ。
竹島のように領土保全が侵害されているケースですら、前防衛庁長官は「大韓民国と我が国との外交上の関係、色々なものを勘案致しまして、やはり外交努力というものが必要なのだと思っています」と国会で答弁し、自衛権発動の可能性を否定している。
在外公館や在外自国民への武力攻撃が発生した場合でさえ、自衛権の発動は想定し難いとの前官房長官答弁も有った。
自衛権は各国共通に認められた国際慣習法上の権利だが、米国やドイツでは、国内法により、軍隊による在外邦人の救出・保護を合法化している。
私は、『正論』誌上で、自衛権を広義に解釈し、在外自国民を自衛権の対象と位置付けた上で、その救出・保護を自衛隊の任務の1つとして、「自衛隊法」及び「武力攻撃事態法」等の関連法に追記しようという提案を行った。
法律には、①在外自国民に対する脅威が生命・身体の安全に関わるものであり、②当該外国が外国人保護義務違反を犯していて外交保護権による解決が期待出来ず、③武器使用は自国民救出という目的達成の為に必要最小限のものとし、④目的が達成されたら、当該外国の「領土保全」と「政治的独立」を侵害する事なく当該国領域より即時撤退する、という原則を書き込む。更には、憲法にも自国民救出行動の根拠条文を置くべきことを記した。
【自衛官からの手紙】
『正論』が発売されると同時に、実に多くの現職自衛官の方々から賛意のお手紙やeメールを戴いた。
そのうち相当数のお手紙は、国民と領土を守る為に厳しい訓練に励んでいるにも関わらず、本来の目的の為に自衛隊の能力と装備が活用されず、期待もされていないことへの苛立ちを伝えてきていた。
ある手紙は、「私は常に、日本の平和を守り国民の安全を確保する仕事に誇りを持ち、使命感を持って訓練に臨んでまいりましたが、国会審議等の報道に接する度に、国民からは全く期待されていないことを思い知らされ、虚しい気持ちになります」と無力感を訴え、別の手紙には、「国内の災害時には、被災者から感謝の言葉を戴き、きつい仕事でもやりがいを感じましたが、海外の紛争被害者救済に貢献する話になると、空気は一変。自衛隊への不信感やアレルギーが根強いことにショックを受けます」と記されていた。
殆どのお手紙から自衛官達の無念が滲み出ていて、切なさに涙ぐみながら拝読した。
かなり具体的なエピソードやご意見を書いて下さっていたeメールがあったので、ここにご紹介したい。メールの送信者は、航空自衛隊に勤務しておられる方だ。「テポドンが飛んできた時、偵察航空隊のRF4偵察機二機が離陸準備して滑走路に入りました。『ウインド・ゼロスリーゼロアットフォーノットクリアードフォー・テイクオフ』の代わりに来たのは『ミッション・イズ・キャンセルド・バイ・スペシャルオーダー』でした。要するに、相手を刺激しないようにということです。いったい刺激しているのはどちらでしょう。(中略)事実は、滑走路まで入ったRF4偵察機二機が呼び戻されたということです」「尖閣諸島、竹島ともども、RF4偵察機はお呼びがかかりません。偵察任務はいち早い情報の収集によって、事後の作戦を優位に進める為に存在しますが。実は、有人偵察機を飛ばすということは『お宅さんの不法行為、それなりの落とし前をつける覚悟をしなさいよ』という国家意思表示になるのです。これが衛星や無人偵察機だと、及び腰という感じで見られてしまいます。十三年間、固有の日本領土である竹島、尖閣諸島を飛ぶことはありませんでした」「実際、邦人救出の為に作戦行動をとる・・というのは、現訓練での想定状況に有りません。C130では余りにも時間がかかり過ぎます」。
警察ならば良くても自衛隊なら許さない、という空気への無念を伝える手紙やeメール
も多々あった。
「テロ対策としての原発や官邸警備に自衛隊を活用せず、警察に任せることとなりました。あの議論の折に、高市さんは経済産業省の副大臣をなさっており、原子力発電所を所管する官庁に居られるゆえの危機感からでしょうか、『原発警備は自衛隊にお願いすべきだ』と発言されていたのを記憶致しております。ところが、自民党の有力政治家が『国民に銃を向けるのか』と言い出して、結局、警察が担当することとなりました。別に警察が担当して下さっても構わないのですが、『国民に銃を向ける』という表現は、国民を守ることを任務と考えている我々に対する侮辱です。あまりにも酷いと感じました。自民党ですら、自衛隊を信頼して下さらないのでしょうか」「プルトニウム輸送の際に、輸送船を目的地フランスまで護衛したのは海上保安庁の巡視船でしたね。何の為に護衛艦が有るのでしょうか」等々・・。
【セカンド・ベストの手段を選択してはならない】
今年7月1日に、防衛庁・自衛隊は創設50周年を迎えた。
自衛官からの手紙に見るような自衛隊への無理解は一部に現存するものの、10年前と比べてみると、「世の中の空気」は随分変わったと思う。国際貢献現場で数々の実績を上げた自衛隊の活躍や、国際テロリズムの脅威に対する国民の不安などが原因だろう。
政治も大きく変わった。以前は、国会審議でも「安全な所ならば自衛隊機で、危険な所ならば民間航空機で」などという非常識な理屈がまかり通っていたが、昨年来、小泉首相や石破防衛庁長官は「危険が想定される地域だからこそ、事前調査能力、危険回避能力、インフラ復興や輸送技術を持った組織である自衛隊を先ず派遣すべき」との考え方を毅然と貫いている。
しかしながら、まだ国会や一部マスコミでは、「自衛隊の海外派遣は日本の軍国主義復活への脅威を周辺諸国に与える」との旧来型の反対論も根強い。
そのせいか、依然として政府側は、「自衛隊の新たな任務の創設に繋がる議論は極力避けよう」としている様な印象を受ける。
まさか「海外に派遣された自衛隊が、突然に侵略部隊と化して植民地を作るのではないか」などと本気で心配している国民は居ないはずだと思うのだが、国民の代表が集まる国会の場では、自衛隊の能力や装備を活用する議論よりも、その手足を縛る議論が優先されてきたのが現実だ。
それでも、現在の日本を取り巻く環境は、自衛隊の多様な場面での活躍を期待せざるを得ない状況にある。
北朝鮮のミサイルや中国の軍備増強、国際テロリズムの脅威に加えて、南シナ海やマラッカ海峡で多発している海賊事件も看過できない。
ロシア、韓国、中国との間には領土問題が存在し、一部では急速に緊張が高まっている。エネルギー政策も、国家安全保障と切り離して考えていると大変な事になる。中国は日本の排他的経済水域内にて強引な調査活動を行っているし、プルサーマル計画実現に今しばらくの時間が必要な現状にあって、プルトニウム海上輸送の安全確保にも十分な取り組みが必要だ。
外国人による邦人拉致や誘拐、国際犯罪グループによる銃や麻薬の密輸も、国民生活の安全を脅かす不安材料として認識されるようになった。サイバーテロの恐怖も目前に有る。
防衛庁、海上保安庁、警察庁、法務省、外務省、経済産業省等、関係機関が密に連携をとって必要な対策を講じていかなければ、国家の構成要素たる国民と領土と主権を守り抜くことが出来ないことは明白だ。
そして、対策作りの上で大切なのは、「目的を達成する為に最も確実で有効な手段を選択する」ことだ。決して自衛隊の存在をタブー視して、他の機関によるセカンド・ベストの手段で代替することがあってはならない。国民の生命を守り抜くことは、国家の最も重要な責務だからだ。
【憲法改正のススメ】
最も確実で有効な手段をもって国家を守れる体制作りを行う為には、まず、私たち国民が「国家の本質と機能」をよく理解し、その構成員として安心して保護を受けると同時に、国家の為に生命を賭して働く人々への敬意や感謝の思いを持つ事が大切だ。国民との黙契の上に立って初めて、政府は主権国家として当然行使すべき権利を行使することが出来、自国民に対する責任を果たせるのだ。
近いうちに本格化するに違いない憲法改正論議は、まさに「国家なるものの本質」を全国民が熟考する絶好の機会となるだろう。
平成12年1月20日に衆参両院に設置された憲法調査会は、間もなく5年間の調査期間を終える。国会法102条6項は、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため、各議院に憲法調査会を設ける」として、憲法調査会の設置趣旨を「調査」に限定している。
しかし、来年の年明けには、憲法調査会の調査報告書が両院議長に提出されたことを受けて、具体的な改憲論議がスタートするだろう。
また、自民党も、昨秋の総選挙で「立党50年の2005年11月までに新しい憲法草案を作る」との政権公約を発表している。
衆議院憲法調査会では、「憲法と現実の乖離が有る」という点については全会派が合意した。それでもなお共産党や社民党は改憲そのものには反対しているが、最早、現行憲法は、解釈や運用によって現実との乖離を埋めようにも措置しきれない段階に来ている。 自衛隊の活動に関する根拠条文もそうである。無制限に解釈を広げると、内容の客観性と法の安定性が失われてしまう。
また、現行憲法は、昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効前にGHQの関与を受けて制定されている。占領下の憲法制定関与はハーグ陸戦法規違反であり、例え現行憲法の内容が完全無欠なものであったとしても、独立した主権国家の国民としてのプライドにかけて「日本の心と言葉をもった憲法」へと書き直すべきだと思っている。
それでは、どのような憲法を創るべきかという点だが、誌面の都合上、国家安全保障に関わる部分についてのみ提案してみたい。
まず、前文には、目指すべき国家像を書き込む。「国家はどうあるべきか」、「国民はどうあるべきか」を冒頭に示すのだ。
国家は、その構成要素である「国民」「領土」「独立統治(主権)」を守り抜くべきであり、一方、国民は、国家の構成員として公益に貢献すべきものである。国民の「権利」と「義務」、「自由」と「責任」のバランスに配慮した書き方が望ましい。
更に、「地球上からテロリズムや軍事的紛争が除去されることを強く願う精神」を示す。
現行憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と記されているが、戦争を起こすのは「自国政府」だけではない。
また、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の下りも、「北朝鮮の前で同じ事が言えるのか?」と考えてみると、自国民保護を困難にするだけの文言である。
9条1項も、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としているが、戦争は「放棄します」と宣言して一方的に放棄できるものではない。
続く2項も、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めているが、いずれの主権国家においても、「自衛の為の交戦権」と「戦力」の保持は常識である。1928年の「不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)」でさえ、自衛権に基づく戦争と軍備を容認しており、自衛戦争か否かについては「自己決定権」を認めている。
そこで、新憲法では、9条に該当する部分に、次の様な内容を書き込む。
①「日本国は、国民と領土と独立統治(主権)を守る為、国家固有の権利としての自衛権を保持する」、
②「日本国は自衛の為の戦力(国防軍)を持てる」、
③「国防軍の最高司令官は、内閣総理大臣とする(文民統制)」、
④「他国の領土保全や政治的独立を侵害する戦争は、これを行わない」、
⑤「日本国は、人道的支援及び世界の平和と安全の維持に寄与する国際的活動に参加する。その目的達成の為に必要な場合には、国防軍を派遣することが出来る」、
⑥「日本国民は、国防の義務を負う。有事の際、政府による防衛行動の円滑な遂行、及び法律に定める私権の一部制限に協力する」。
また、国家安全保障上の機密事項と「表現の自由」「会議の公開」の関係についても、検討の必要を感じている。
昨年末、自衛隊のイラク派遣に関する国会審議が行われていたが、携行武器の名称や射程距離まで含めた武器の性能、自衛隊の移動ルートまでが公に議論され、マスコミはこれを詳細に報道していた。派遣要員の安全を懸念する声も上がっていた。
現行憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」としているが、国家の安全保障や人命に関わる場合に限って、数年間の情報公開不可能期間を設定出来る根拠条文を追加したい。
また、57条1項では、「両議院の会議は公開とする。但し、出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる」としているが、与野党の議席数が接近してくると、「3分の2以上の多数」を秘密会開催要件とするとハードルが高過ぎて機密は守れない。これも国家の安全保障や人命に関わる場合に限って「過半数」とすべきだと思う。
この他にも、大規模テロや自然災害など「非常事態」に対応する法律の根拠条文を新設し、「内閣総理大臣への権力集中」や「国民の自由や権利の制限」を書くべきだろうし、「国家権力行使の代替措置」、つまり、内閣総理大臣が職務執行不能状態になった場合の権限継承順位も憲法事項であるべきだと考える。
そして、99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」としているが、ここには「国民の憲法尊重擁護義務」も追加したい。
諸外国の憲法と比較してみても、日本の憲法改正手続き規定が格別に厳しい要件を課しているとは思わない。96条の規定よりもむしろ、憲法改正や自衛隊をタブー視してきた世の中の空気と政治の怠慢こそが、国民の生命や国家の主権を守る為に必要な行為すら担
保できない現行憲法に57年間もしがみついてきた原因なのだろうと思う。
今夏の参議院選挙で選出された国会議員は、今年から6年間もの任期を務めるのだから、ほぼ確実に憲法改正作業に携わる人々である。年金問題が最大の争点となったことで、選挙期間中に、候補者の憲法観や国家観を聴くことが叶わなかったことを残念に思っている。
各地で活躍されている自衛隊の皆様に、心からの感謝と敬意を捧げつつ、実効的な任務遂行を可能とする法整備と国防に関する国民の理解が進むことを願っている。