自民党でも流行りだした「A級戦犯分祀論」への疑問
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今秋の自民党総裁選挙の候補予定者と目される方々(つまり、次期首相候補者となられる方々)に関する報道で気になるのは、「靖国神社A級戦犯分祀論者」イコール「外交手腕の優れた人」というイメージの扱いが多いことです。
本当にそうなのでしょうか?
私は、そもそも政府が靖国神社に対して一方的に「A級戦犯を分祀しろ」などという指示を行うことは、憲法に規定する信教の自由を侵害し、政教分離の原則にも反することですから、次期首相候補者と言われている方々が「分祀の是非」を語る必要など無いと思っています。
加えて、靖国問題を総裁選挙の争点にすることで、日本の首相が「日中関係=靖国問題」といった狭い捉え方をしているというイメージを内外に発信することも得策ではありません。
更に言えば、「中国にとって都合の良い首相」を選出させるような中国側の巧みな介入と宣伝に日本人が乗ってしまうことも、得策ではないと考えています。
ある新聞に佐藤内閣後の自民党総裁選挙の様子が紹介されていました。
佐藤内閣時に「佐藤内閣では中国問題を解決できない」との世論形成がなされ、ポスト佐藤と呼ばれた候補者たちは中国問題で佐藤内閣を批判し、「後継首相の要件は、中国問題を解決できる人」ということになってしまったとの流れが記されていました。
現在の状況も、佐藤内閣末期に似てきているように思えます。
自民党内では「アジア外交再建」「国立追悼施設建設」を訴えるグループが組織され、これは特定の総裁候補者と連動した勢力として報道されています。
経済界でも、対中投資を行ってきた大企業が小泉首相の靖国神社参拝に懸念を表明し、「財界は、親中派の総裁候補を応援する」という見方が広がっています。
マスコミ界でも、「毅然たる対中外交」を主張されていたと記憶する新聞社の論調が、中国政府の主張代弁に近い内容となってきています。
去る5月18日に、自民党の元幹事長であり日本遺族会の会長でもいらっしゃる古賀誠代議士が、派閥の勉強会で総裁選挙に向けた政策提言の私案を発表され、その中で「日中関係改善の為には、靖国神社におけるA級戦犯の分祀も検討の対象である」旨の発言をされたことが報道されていました。
繰り返しになりますが、憲法上、分祀の是非は靖国神社が自ら判断すべきことであって、政治が介入すべきことではありませんし、総裁選挙など政局にからめて発言されるべきことではないのでは・・・と、残念に思いました。
民主党の小沢一郎代表も、同様の考えであるようです。
小沢一郎代議士が夕刊フジに連載されていた「剛腕コラム」(2005年10月21日)には、「(靖国神社は)戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも『戦争で倒れた』という解釈で合祇している」、「当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい」、「この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている」、「靖国神社は『一度、合祀した御霊は分祀できない』と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」と記されていました。
この小沢一郎代議士のご主張に、3点の反論をさせていただきます。
第1に、「(靖国神社は)戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも『戦争で倒れた』という解釈で合祀している」というご指摘について述べます。
靖国神社には、戦犯処刑者以外にも、疎開船「津島丸」の学童やシベリア抑留中の死没者など、戦闘中の死亡者ではない方々も数多く合祀されており、明らかな事実誤認です。
第2に、「当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい。この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている」とのご主張について述べます。
小沢代議士が「日本国民に対して大きな責任がある戦争指導者」=「東京裁判におけるいわゆるA級戦犯処刑者」だという整理をされているように読み取れますが、小沢代議士は、同じ原稿の中で、「僕は基本的に、戦勝国側が一方的に敗戦国を裁いて下した『戦犯』というものは受け入れられない。東京裁判は、不当な報復裁判である」とも書いておられ、矛盾を感じます。
仮に「東京裁判による『戦犯』なるものは認めないが、『当時の国家指導者』は分祀すべき」というお考えであるならば、日本人自らが「当時の国家指導者」「戦争指導者」なるものが誰であるのかを改めて検証し直す必要が出てきます。
また、東京裁判以前の戦闘中の死亡者であっても、指導者とされる方については合祀資格を問い直さねばならないこととなります。
第3に、「靖国神社は『一度、合祀した御霊は分祀できない』と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」とのご主張について述べます。
靖国神社における合祀とは、「霊璽簿に記載されたご祭神の御霊を神社のご神体(御鏡と御剣)に鎮め祀ること」なのだそうです。よって、合祀が完了した後にご神体ではない霊璽簿から御名前を消したところで、分祀できるというものではないということです。
平成17年6月9日付の「神社本庁の基本見解」に、「分祀」について分かりやすい記述がございましたので、次に抜粋してみます。
「祭神の『分祀』の意味を誤解し、神社祭祀の本義から外れた議論がなされてゐることに対して、深い憂慮の念を禁じ得ない」
「祭神の分離といふ意味の『分祀』は、神社祭祀の本義からあり得ない。神社祭祀における分祀(祭)とは、人々の崇敬心に基づいて新しく神社を創建したり、あるいは神社に新たな御祭神を祀るために、元宮となる神社から御神霊をお迎へするための祭祀のことであるが、分祀(祭) が行はれても元宮の御祭神や祭祀に何ら変はるところはない。神社祭祀は、このやうな神道の神観念や霊魂観に基づいてをり、『A級戦犯』とされた方々のみを御神座から『分離』するといふ意味での『分祀』は有り得ないとする靖國神社の見解は当然である」
「神社本庁は、靖國神社をめぐり、神社の尊厳に直接関はる御祭神の問題までが政治やマスコミの場で軽々に議論されてゐることに対して、遺憾の意を表明するものである」
先に民主党の小沢代表のご主張への反論を書かせていただきましたが、このところ、自民党内でも、古賀誠代議士をはじめとして「A級戦犯だけは別」「戦争指導者責任ゆえの分祀をするべき」といった主張をされる政治家が増えてきたように思えます。
しかし、この考え方については、整理して再考していただくべき点があると思っています。
第1に、「刑死・獄死されたA級戦犯の方」と「赦免等によって生存されたA級戦犯の方」との責任の重さは異なると考えられるのでしょうか?
A級戦犯として禁固7年の判決を受けた重光葵氏(東條英機内閣・小磯国昭内閣の外務大臣)は、後年、改進党総裁・日本民主党副総裁を務め、第1次鳩山一郎内閣では外務大臣に就任、勲1等旭日桐花大綬章の死亡叙勲も受けておられます。
同じくA級戦犯として終身刑の判決を受けた賀屋興宣氏(近衛内閣・東條内閣の大蔵大臣)も、赦免後に衆議院議員となり、岸信介首相の経済顧問や池田勇人内閣の法務大臣を務められました。
いずれも、「戦犯を、国内法上の犯罪者としない」とした政府の姿勢を考えますと何ら問題の無いことですが、現在の政治家が「亡くなった方だけに戦争責任を問う」というのもバランスの取れない考え方だと思います。
第2に、いわゆる「A級戦犯合祀者」と呼ばれている方々は、昭和53年(1978年)に靖国神社が「昭和時代の殉難者」として合祀した「死刑及び獄中死の14名」を指しますが、A級戦犯容疑では「無罪」だった松井石根氏や判決前に病死された松岡洋右氏、永野修身氏もこの14名に含まれており、厳密にはA級戦犯処刑者ではないわけです。
それゆえA級戦犯を分祀すると言っても、具体的に誰を対象とするかは難しい問題です。
第3に、どうしても彼らの主張通り、日本人自らが当時の政治指導者の「国民への戦争指導責任」なるものを問わなければならないのだとしたら、その「権限」からして戦時中の歴代首相の責任ということについて考えざるを得なくなってしまいます。
ところが、「権限上の戦争指導責任者」と「実際の戦争推進論者」と「A級戦犯処刑者」は、必ずしも一致しない現実があると思います。
例えば、第32代首相だった広田弘毅氏は、死刑に処されました。ところが、そもそも戦争に反対していた広田氏に対する死刑判決には多くの疑問の声もあり、減刑を求める署名が集められたほどだったといいます。
第34代首相の近衞文麿氏は、A級戦犯として巣鴨拘置所に出頭を命じられましたが、最終期限日の昭和20年12月16日に自宅で青酸カリを飲み、自殺されています。
第36代首相の阿部信行氏は、A級戦犯容疑で逮捕されましたが、東京裁判開廷直前に突如、起訴予定者のリストから外されたといわれており、同裁判を巡る謎の一つとされています。
第37代首相の米内光政氏は、東京裁判では責任不問とされ、証人として出廷しただけでした。戦争反対論者だったからとされますが、同じく戦争に反対した広田弘毅氏の死刑とのバランスについては分かりにくいと思います。
第40代首相の東條英機氏が死刑、 第41代首相の小磯國昭氏が終身刑、第42代首相(終戦時)の 鈴木貫太郎氏は責任不問・・と続きます。
果たして、現在に生きる私たち日本人が、「戦勝国による報復裁判の結果を無批判に受け入れて、この判決を基準に戦争指導責任者を断罪するのか」、「当時の個人の主張を再精査して、A級戦犯の中でも区別をするのか」、「地位や権限に鑑みて、A級戦犯とされなかった歴代首相や閣僚の責任も問うのか」という点について、いかに考えられるのか・・・「戦争指導責任論」を主張されている政治家に問いたい点です。
私は、今を生きる日本人として、国会議員として、こう考えています。
平和を守る為の努力は必要です。戦争を繰り返さない決意も重要です。しかし、目の前の外交事情や政局への思惑に振り回されて、半世紀以上も前の日本を取り巻いていた国際環境の中で当時のリーダーが下した政治判断を一方的に断罪すべきではないと思います。
もしも日本が戦勝国であったなら、当時の政治家たちは開戦そのものの責任を問われることはなかったでしょうし、国際法を無視した戦勝国による報復裁判も行なわれなかったでしょう。
確かに、当時の政治指導者たちに「連合国の力を見誤った責任」を問う声もありますし、現代に生きる私たちが「何故、間違った戦争をしてしまったのか」などと言って嘆くことは簡単ですが、当時の日本が取り得た「100%正しく、後世に批判を受けない他の選択肢」を自信をもって示せる政治家など居ないと思うのです。資源封鎖をされた中で、日本人の生存と国家の独立を守る為の決死の選択だったかもしれないのですから。
また、戦後の戦没者慰霊の在り方についても、先人のご努力や過去の国会の決定を軽視して拙速に変更すべきではなく、あくまでも十分な研究を重ねた上で慎重に論じられるべき事柄ではないでしょうか。
占領終結直後、日本国内ではA級・BC級を問わず、「戦犯」の釈放を求めて国民署名が集められ、その数は4000万人にも達したと聞きます。
これを受けて国会では、全ての「戦犯」釈放・赦免を求める決議を衆参合わせて4回も行いました(決議は全会一致)。
政府も、サンフランシスコ講和条約第11条の「戦犯の赦免や減刑は、判決に加わった国の過半数が決定する」という規定に従って関係各国と交渉し、赦免の要件を満たしました。
その上で、政府は「戦犯を、国内法上の犯罪者としない」旨の通知を出しています。
また、国会は、「遺族援護法」や「恩給法」の改正も行い、全ての戦犯刑死者・獄死者のご遺族や戦犯本人の処遇を、一般戦没者遺族や一般の軍人軍属と同じにしました。
やがて昭和34年に最初の戦犯合祀が行なわれましたが、靖国神社は、国会の決定による政府の措置に基づいて、いわゆる「戦犯」と呼ばれた死亡者も「昭和殉難者」として合祀したのです(厚生省が「援護法」適用を受ける範囲の人を「公務死」とした為、いわゆる「戦犯」も含まれました)。
私には、当時の国民世論を受けて国会が全会一致で決めた事柄を、その過程を無視して、現在の国会議員が「間違った対応だ」「変更すべきだ」と断じること自体が傲慢に思えてなりません。
首相の靖国神社参拝についても、「中国から抗議されたから」という理由で止めるべき性格の事柄ではないと思っています。
講和条約締結後、吉田首相が靖国神社参拝を再開されて以降、歴代首相は、春秋の例祭などに合わせて「公式参拝」をしてこられました。
首相や閣僚の靖国神社公式参拝を合憲とした政府見解(昭和60年)も変更されてはいません。
昭和50年に、三木首相が「私的参拝」と言い出されましたが、それでも、昭和53年にいわゆる「A級戦犯」が合祀された後も、大平首相、鈴木首相、中曽根首相が靖国神社に参拝されています。
昭和60年に、中曽根首相が中国から抗議されて参拝を取り止めたことで「外交問題化」してしまいましたが、それまでは「A級戦犯合祀」を理由とした中国からの抗議も無かったのです。
そもそもサンフランシスコ講和条約は、「この条約はここに定義された連合国の1国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権限または利益を与えるものではない」としており、中国は講和条約(11条の戦犯の扱いなど)に基づいて発言する「法的資格」を持ちません。
また、政府主催の「全国戦没者追悼式」には、当初から「戦犯」とされた方々のご遺族も招待されています。
つまり、いわゆる「戦犯」も慰霊している行事に、歴代首相が主催者として参列しているわけで、ことさら靖国参拝のみを取り上げて批判するのも、変ではないでしょうか。
大いにご批判を戴いてしまう私見かもしれませんが、敢えて長々と書かせていただきました。
本当にそうなのでしょうか?
私は、そもそも政府が靖国神社に対して一方的に「A級戦犯を分祀しろ」などという指示を行うことは、憲法に規定する信教の自由を侵害し、政教分離の原則にも反することですから、次期首相候補者と言われている方々が「分祀の是非」を語る必要など無いと思っています。
加えて、靖国問題を総裁選挙の争点にすることで、日本の首相が「日中関係=靖国問題」といった狭い捉え方をしているというイメージを内外に発信することも得策ではありません。
更に言えば、「中国にとって都合の良い首相」を選出させるような中国側の巧みな介入と宣伝に日本人が乗ってしまうことも、得策ではないと考えています。
ある新聞に佐藤内閣後の自民党総裁選挙の様子が紹介されていました。
佐藤内閣時に「佐藤内閣では中国問題を解決できない」との世論形成がなされ、ポスト佐藤と呼ばれた候補者たちは中国問題で佐藤内閣を批判し、「後継首相の要件は、中国問題を解決できる人」ということになってしまったとの流れが記されていました。
現在の状況も、佐藤内閣末期に似てきているように思えます。
自民党内では「アジア外交再建」「国立追悼施設建設」を訴えるグループが組織され、これは特定の総裁候補者と連動した勢力として報道されています。
経済界でも、対中投資を行ってきた大企業が小泉首相の靖国神社参拝に懸念を表明し、「財界は、親中派の総裁候補を応援する」という見方が広がっています。
マスコミ界でも、「毅然たる対中外交」を主張されていたと記憶する新聞社の論調が、中国政府の主張代弁に近い内容となってきています。
去る5月18日に、自民党の元幹事長であり日本遺族会の会長でもいらっしゃる古賀誠代議士が、派閥の勉強会で総裁選挙に向けた政策提言の私案を発表され、その中で「日中関係改善の為には、靖国神社におけるA級戦犯の分祀も検討の対象である」旨の発言をされたことが報道されていました。
繰り返しになりますが、憲法上、分祀の是非は靖国神社が自ら判断すべきことであって、政治が介入すべきことではありませんし、総裁選挙など政局にからめて発言されるべきことではないのでは・・・と、残念に思いました。
民主党の小沢一郎代表も、同様の考えであるようです。
小沢一郎代議士が夕刊フジに連載されていた「剛腕コラム」(2005年10月21日)には、「(靖国神社は)戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも『戦争で倒れた』という解釈で合祇している」、「当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい」、「この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている」、「靖国神社は『一度、合祀した御霊は分祀できない』と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」と記されていました。
この小沢一郎代議士のご主張に、3点の反論をさせていただきます。
第1に、「(靖国神社は)戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも『戦争で倒れた』という解釈で合祀している」というご指摘について述べます。
靖国神社には、戦犯処刑者以外にも、疎開船「津島丸」の学童やシベリア抑留中の死没者など、戦闘中の死亡者ではない方々も数多く合祀されており、明らかな事実誤認です。
第2に、「当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい。この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている」とのご主張について述べます。
小沢代議士が「日本国民に対して大きな責任がある戦争指導者」=「東京裁判におけるいわゆるA級戦犯処刑者」だという整理をされているように読み取れますが、小沢代議士は、同じ原稿の中で、「僕は基本的に、戦勝国側が一方的に敗戦国を裁いて下した『戦犯』というものは受け入れられない。東京裁判は、不当な報復裁判である」とも書いておられ、矛盾を感じます。
仮に「東京裁判による『戦犯』なるものは認めないが、『当時の国家指導者』は分祀すべき」というお考えであるならば、日本人自らが「当時の国家指導者」「戦争指導者」なるものが誰であるのかを改めて検証し直す必要が出てきます。
また、東京裁判以前の戦闘中の死亡者であっても、指導者とされる方については合祀資格を問い直さねばならないこととなります。
第3に、「靖国神社は『一度、合祀した御霊は分祀できない』と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」とのご主張について述べます。
靖国神社における合祀とは、「霊璽簿に記載されたご祭神の御霊を神社のご神体(御鏡と御剣)に鎮め祀ること」なのだそうです。よって、合祀が完了した後にご神体ではない霊璽簿から御名前を消したところで、分祀できるというものではないということです。
平成17年6月9日付の「神社本庁の基本見解」に、「分祀」について分かりやすい記述がございましたので、次に抜粋してみます。
「祭神の『分祀』の意味を誤解し、神社祭祀の本義から外れた議論がなされてゐることに対して、深い憂慮の念を禁じ得ない」
「祭神の分離といふ意味の『分祀』は、神社祭祀の本義からあり得ない。神社祭祀における分祀(祭)とは、人々の崇敬心に基づいて新しく神社を創建したり、あるいは神社に新たな御祭神を祀るために、元宮となる神社から御神霊をお迎へするための祭祀のことであるが、分祀(祭) が行はれても元宮の御祭神や祭祀に何ら変はるところはない。神社祭祀は、このやうな神道の神観念や霊魂観に基づいてをり、『A級戦犯』とされた方々のみを御神座から『分離』するといふ意味での『分祀』は有り得ないとする靖國神社の見解は当然である」
「神社本庁は、靖國神社をめぐり、神社の尊厳に直接関はる御祭神の問題までが政治やマスコミの場で軽々に議論されてゐることに対して、遺憾の意を表明するものである」
先に民主党の小沢代表のご主張への反論を書かせていただきましたが、このところ、自民党内でも、古賀誠代議士をはじめとして「A級戦犯だけは別」「戦争指導者責任ゆえの分祀をするべき」といった主張をされる政治家が増えてきたように思えます。
しかし、この考え方については、整理して再考していただくべき点があると思っています。
第1に、「刑死・獄死されたA級戦犯の方」と「赦免等によって生存されたA級戦犯の方」との責任の重さは異なると考えられるのでしょうか?
A級戦犯として禁固7年の判決を受けた重光葵氏(東條英機内閣・小磯国昭内閣の外務大臣)は、後年、改進党総裁・日本民主党副総裁を務め、第1次鳩山一郎内閣では外務大臣に就任、勲1等旭日桐花大綬章の死亡叙勲も受けておられます。
同じくA級戦犯として終身刑の判決を受けた賀屋興宣氏(近衛内閣・東條内閣の大蔵大臣)も、赦免後に衆議院議員となり、岸信介首相の経済顧問や池田勇人内閣の法務大臣を務められました。
いずれも、「戦犯を、国内法上の犯罪者としない」とした政府の姿勢を考えますと何ら問題の無いことですが、現在の政治家が「亡くなった方だけに戦争責任を問う」というのもバランスの取れない考え方だと思います。
第2に、いわゆる「A級戦犯合祀者」と呼ばれている方々は、昭和53年(1978年)に靖国神社が「昭和時代の殉難者」として合祀した「死刑及び獄中死の14名」を指しますが、A級戦犯容疑では「無罪」だった松井石根氏や判決前に病死された松岡洋右氏、永野修身氏もこの14名に含まれており、厳密にはA級戦犯処刑者ではないわけです。
それゆえA級戦犯を分祀すると言っても、具体的に誰を対象とするかは難しい問題です。
第3に、どうしても彼らの主張通り、日本人自らが当時の政治指導者の「国民への戦争指導責任」なるものを問わなければならないのだとしたら、その「権限」からして戦時中の歴代首相の責任ということについて考えざるを得なくなってしまいます。
ところが、「権限上の戦争指導責任者」と「実際の戦争推進論者」と「A級戦犯処刑者」は、必ずしも一致しない現実があると思います。
例えば、第32代首相だった広田弘毅氏は、死刑に処されました。ところが、そもそも戦争に反対していた広田氏に対する死刑判決には多くの疑問の声もあり、減刑を求める署名が集められたほどだったといいます。
第34代首相の近衞文麿氏は、A級戦犯として巣鴨拘置所に出頭を命じられましたが、最終期限日の昭和20年12月16日に自宅で青酸カリを飲み、自殺されています。
第36代首相の阿部信行氏は、A級戦犯容疑で逮捕されましたが、東京裁判開廷直前に突如、起訴予定者のリストから外されたといわれており、同裁判を巡る謎の一つとされています。
第37代首相の米内光政氏は、東京裁判では責任不問とされ、証人として出廷しただけでした。戦争反対論者だったからとされますが、同じく戦争に反対した広田弘毅氏の死刑とのバランスについては分かりにくいと思います。
第40代首相の東條英機氏が死刑、 第41代首相の小磯國昭氏が終身刑、第42代首相(終戦時)の 鈴木貫太郎氏は責任不問・・と続きます。
果たして、現在に生きる私たち日本人が、「戦勝国による報復裁判の結果を無批判に受け入れて、この判決を基準に戦争指導責任者を断罪するのか」、「当時の個人の主張を再精査して、A級戦犯の中でも区別をするのか」、「地位や権限に鑑みて、A級戦犯とされなかった歴代首相や閣僚の責任も問うのか」という点について、いかに考えられるのか・・・「戦争指導責任論」を主張されている政治家に問いたい点です。
私は、今を生きる日本人として、国会議員として、こう考えています。
平和を守る為の努力は必要です。戦争を繰り返さない決意も重要です。しかし、目の前の外交事情や政局への思惑に振り回されて、半世紀以上も前の日本を取り巻いていた国際環境の中で当時のリーダーが下した政治判断を一方的に断罪すべきではないと思います。
もしも日本が戦勝国であったなら、当時の政治家たちは開戦そのものの責任を問われることはなかったでしょうし、国際法を無視した戦勝国による報復裁判も行なわれなかったでしょう。
確かに、当時の政治指導者たちに「連合国の力を見誤った責任」を問う声もありますし、現代に生きる私たちが「何故、間違った戦争をしてしまったのか」などと言って嘆くことは簡単ですが、当時の日本が取り得た「100%正しく、後世に批判を受けない他の選択肢」を自信をもって示せる政治家など居ないと思うのです。資源封鎖をされた中で、日本人の生存と国家の独立を守る為の決死の選択だったかもしれないのですから。
また、戦後の戦没者慰霊の在り方についても、先人のご努力や過去の国会の決定を軽視して拙速に変更すべきではなく、あくまでも十分な研究を重ねた上で慎重に論じられるべき事柄ではないでしょうか。
占領終結直後、日本国内ではA級・BC級を問わず、「戦犯」の釈放を求めて国民署名が集められ、その数は4000万人にも達したと聞きます。
これを受けて国会では、全ての「戦犯」釈放・赦免を求める決議を衆参合わせて4回も行いました(決議は全会一致)。
政府も、サンフランシスコ講和条約第11条の「戦犯の赦免や減刑は、判決に加わった国の過半数が決定する」という規定に従って関係各国と交渉し、赦免の要件を満たしました。
その上で、政府は「戦犯を、国内法上の犯罪者としない」旨の通知を出しています。
また、国会は、「遺族援護法」や「恩給法」の改正も行い、全ての戦犯刑死者・獄死者のご遺族や戦犯本人の処遇を、一般戦没者遺族や一般の軍人軍属と同じにしました。
やがて昭和34年に最初の戦犯合祀が行なわれましたが、靖国神社は、国会の決定による政府の措置に基づいて、いわゆる「戦犯」と呼ばれた死亡者も「昭和殉難者」として合祀したのです(厚生省が「援護法」適用を受ける範囲の人を「公務死」とした為、いわゆる「戦犯」も含まれました)。
私には、当時の国民世論を受けて国会が全会一致で決めた事柄を、その過程を無視して、現在の国会議員が「間違った対応だ」「変更すべきだ」と断じること自体が傲慢に思えてなりません。
首相の靖国神社参拝についても、「中国から抗議されたから」という理由で止めるべき性格の事柄ではないと思っています。
講和条約締結後、吉田首相が靖国神社参拝を再開されて以降、歴代首相は、春秋の例祭などに合わせて「公式参拝」をしてこられました。
首相や閣僚の靖国神社公式参拝を合憲とした政府見解(昭和60年)も変更されてはいません。
昭和50年に、三木首相が「私的参拝」と言い出されましたが、それでも、昭和53年にいわゆる「A級戦犯」が合祀された後も、大平首相、鈴木首相、中曽根首相が靖国神社に参拝されています。
昭和60年に、中曽根首相が中国から抗議されて参拝を取り止めたことで「外交問題化」してしまいましたが、それまでは「A級戦犯合祀」を理由とした中国からの抗議も無かったのです。
そもそもサンフランシスコ講和条約は、「この条約はここに定義された連合国の1国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権限または利益を与えるものではない」としており、中国は講和条約(11条の戦犯の扱いなど)に基づいて発言する「法的資格」を持ちません。
また、政府主催の「全国戦没者追悼式」には、当初から「戦犯」とされた方々のご遺族も招待されています。
つまり、いわゆる「戦犯」も慰霊している行事に、歴代首相が主催者として参列しているわけで、ことさら靖国参拝のみを取り上げて批判するのも、変ではないでしょうか。
大いにご批判を戴いてしまう私見かもしれませんが、敢えて長々と書かせていただきました。