国政の現場での再出発
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長らくサイトが工事中で、失礼致しました。
今秋は、突然の小選挙区出馬や選挙地盤の変更により、東京への引越しと同時に新しい地元事務所探し(来月末移転です)、秋の地元行事ラッシュへの対応等に追われ、なかなかパソコンに向かう時間を確保できませんでした。
まだダンボール箱の谷間で作業しておりますが、ようやく皆様に近況を伝えることができますことを喜んでおります。
前回の「大和の国から」の最終稿は、衆議院解散直後に書きました。
福井2区で出馬する主人を手伝う為に8月後半を福井県で過ごす予定でしたから、奈良の実家にあった夏服を宅配便で福井の家に送ったところでした。
その後、数日間で状況は変わり、私自身が奈良2区の候補者として地獄のような選挙を戦う羽目に・・。
それまでの私は直近の選挙で出馬できる選挙区を持たない自民党支部長でしたし、武部幹事長から最初に打診を受けた8月14日の時点では、前奈良2区支部長だった滝代議士との関係も考え、大いに悩み苦しみました。
それでも、過去4年余りの間に小泉政権が断行してきた「民間でできることは民間で」「地方でできることは地方で」という「小さな政府への改革」を支持して下さる有権者の受け皿となることには大きな意義を感じましたし、「小さな政府であっても国が責任を持つべき安心・安全の確保」を制度的に担保する仕事に取り組みたいという気持ちが強く、思い切って挑戦することにしました。
総選挙公示日を2週間後に控えた8月16日に幹事長に出馬の決意をお伝えしましたが、正直なところ、公示日までの日々は、肉体的にも精神的にもきついものでした。
私の初当選は中選挙区制度時代でしたから、平成8年の小選挙区比例代表並立制導入までは奈良2区も自分の選挙区であり、地理的には隅々まで知り尽くした地域ではあります。
ただ、奈良1区を地盤としてからは2区の後援会組織は小さくなってしまっており、実質的にはゼロからのスタートです。
それでも、「準備期間が足りないから、十分な選挙戦を展開できなかった」という言い訳だけはしたくないと思いました。それでは、奈良2区の有権者の方々に対して余りにも失礼になってしまいます。「出馬すると決めた以上は、自分の主張が1人でも多くの有権者に伝わるように、できる限りの準備を整えよう。1日24時間をフルに使おう」と決意。
お盆で不動産屋さんがお休みだったという事情から選挙事務所探しは困難を極め、選挙事務所住所が確定しないと印刷にかかれない推薦葉書等の印刷物手配、選挙公報や選挙ビラで発表する政策の原稿書き、各マスコミから送られる莫大な量の政策アンケート記入、ポスターや選挙カーの準備など、連日夜中の4時頃まで頑張っては、早朝6時台から駅頭立ちをするという状況。
殆ど眠らない状態で迎えた公示日には、既に体力の限界を感じていた程でした。加えて「刺客報道」による有権者のご批判も強く、選挙戦前半は最下位争いの様相でした。
しかし、実に多くの方々に支えていただき、自分のキャパシティーを遥かに超えた選挙戦を戦わせていただけたと思っています。
奈良2区の方々や自民党役員の方々、教え子たちに加えて、奈良1区の後援者も沢山ボランティアに駆けつけて下さり、感謝の気持ち一杯でした。
ただ、お気に入りの夏服を福井に送ってしまったことだけは悔やまれました。新たに調達する時間も無く、10年位前に購入した流行遅れのスーツで選挙運動をしましたが、雑誌やテレビの候補者ファッション・チェック企画ではボロクソだったと聞き、しょんぼり・・。
選挙後早々に特別国会が召集され、まずは「初心に帰って地道に働こう」と自分に言い聞かせました。
1年10ヶ月、国会を離れてみて、以前にも増して1日1日が貴重に思えます。現在は、衆議院予算委員会、郵政特別委員会、憲法調査特別委員会に所属しています。
コツコツと1つずつ、議席が無くてはできない法整備に取り組んでいきたいと思います。
今秋は、突然の小選挙区出馬や選挙地盤の変更により、東京への引越しと同時に新しい地元事務所探し(来月末移転です)、秋の地元行事ラッシュへの対応等に追われ、なかなかパソコンに向かう時間を確保できませんでした。
まだダンボール箱の谷間で作業しておりますが、ようやく皆様に近況を伝えることができますことを喜んでおります。
前回の「大和の国から」の最終稿は、衆議院解散直後に書きました。
福井2区で出馬する主人を手伝う為に8月後半を福井県で過ごす予定でしたから、奈良の実家にあった夏服を宅配便で福井の家に送ったところでした。
その後、数日間で状況は変わり、私自身が奈良2区の候補者として地獄のような選挙を戦う羽目に・・。
それまでの私は直近の選挙で出馬できる選挙区を持たない自民党支部長でしたし、武部幹事長から最初に打診を受けた8月14日の時点では、前奈良2区支部長だった滝代議士との関係も考え、大いに悩み苦しみました。
それでも、過去4年余りの間に小泉政権が断行してきた「民間でできることは民間で」「地方でできることは地方で」という「小さな政府への改革」を支持して下さる有権者の受け皿となることには大きな意義を感じましたし、「小さな政府であっても国が責任を持つべき安心・安全の確保」を制度的に担保する仕事に取り組みたいという気持ちが強く、思い切って挑戦することにしました。
総選挙公示日を2週間後に控えた8月16日に幹事長に出馬の決意をお伝えしましたが、正直なところ、公示日までの日々は、肉体的にも精神的にもきついものでした。
私の初当選は中選挙区制度時代でしたから、平成8年の小選挙区比例代表並立制導入までは奈良2区も自分の選挙区であり、地理的には隅々まで知り尽くした地域ではあります。
ただ、奈良1区を地盤としてからは2区の後援会組織は小さくなってしまっており、実質的にはゼロからのスタートです。
それでも、「準備期間が足りないから、十分な選挙戦を展開できなかった」という言い訳だけはしたくないと思いました。それでは、奈良2区の有権者の方々に対して余りにも失礼になってしまいます。「出馬すると決めた以上は、自分の主張が1人でも多くの有権者に伝わるように、できる限りの準備を整えよう。1日24時間をフルに使おう」と決意。
お盆で不動産屋さんがお休みだったという事情から選挙事務所探しは困難を極め、選挙事務所住所が確定しないと印刷にかかれない推薦葉書等の印刷物手配、選挙公報や選挙ビラで発表する政策の原稿書き、各マスコミから送られる莫大な量の政策アンケート記入、ポスターや選挙カーの準備など、連日夜中の4時頃まで頑張っては、早朝6時台から駅頭立ちをするという状況。
殆ど眠らない状態で迎えた公示日には、既に体力の限界を感じていた程でした。加えて「刺客報道」による有権者のご批判も強く、選挙戦前半は最下位争いの様相でした。
しかし、実に多くの方々に支えていただき、自分のキャパシティーを遥かに超えた選挙戦を戦わせていただけたと思っています。
奈良2区の方々や自民党役員の方々、教え子たちに加えて、奈良1区の後援者も沢山ボランティアに駆けつけて下さり、感謝の気持ち一杯でした。
ただ、お気に入りの夏服を福井に送ってしまったことだけは悔やまれました。新たに調達する時間も無く、10年位前に購入した流行遅れのスーツで選挙運動をしましたが、雑誌やテレビの候補者ファッション・チェック企画ではボロクソだったと聞き、しょんぼり・・。
選挙後早々に特別国会が召集され、まずは「初心に帰って地道に働こう」と自分に言い聞かせました。
1年10ヶ月、国会を離れてみて、以前にも増して1日1日が貴重に思えます。現在は、衆議院予算委員会、郵政特別委員会、憲法調査特別委員会に所属しています。
コツコツと1つずつ、議席が無くてはできない法整備に取り組んでいきたいと思います。