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副大臣就任の夜

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 小泉内閣改造翌日の10月1日夕刻、数時間後には戦後最大級の台風が関東地方を直撃するとのニュ-スが流れていました。

 平素なら最も慌ただしいはずの時間帯ですが、台風で来客も無い上、安全を期して午後早々には秘書達を帰宅させた為、国会事務所は別世界の様に静かでした。私は久々に落ち着いて書類整理や書き物が出来る時間を楽しんでいました。

 風雨がかなり強くなり、とうとう私と弟も帰り支度を始めた時、官邸の安倍官房副長官から電話が入りました。「高市さんに経済産業副大臣をしてもらおうという話になっているから、念の為、明日は宮中の認証官任命式に行ける服装を用意してね」

 数分後に入ってきたFAXには「服装はロングドレスか白襟紋付」と書かれてありました。台風の中、ロングドレスを売ってくれる店が開いているとも思えず、これには頭を抱えました。

 翌2日、副大臣人事が閣議決定されたとかで、正午過ぎからは経済産業省幹部による所管事項説明が始まりました。懸案事項だった宮中参上用の服装の方は、経済産業省が伝統産業支援をしていることもあって、結局は通常国会開会式に着た和服に決めました。

 副大臣内定者達は午後4時に総理官邸に集合.官邸内では、宮中で陛下から認証を受ける際の作法ビデオを3回も観せられました。

 「正殿松の間に入ったら、陛下と目を合わせて一礼。御前まで進んで陛下に敬礼」「右斜め前の総理の前に進んで官記を受領したら、後退りして陛下の御前に戻る」「式部官によって自分の官名と名前が読み上げられたら陛下に敬礼。陛下からお言葉を賜ったら、陛下と視線を合わせて敬礼。この際、決して返事をしてはならない」「その後3歩後退りして向きを変え、出口に向かって歩く」「出口近くで再び陛下に向き直り一礼。退出」というもの。

 確かに覚えるのが大変な作法であります。「それにしても3回もビデオを観せるなんて念の入ったことよねえ」と隣席の副大臣に声をかけると「前に安倍副長官が間違えたんだって。3歩後退りするのを忘れて、いきなり陛下にお尻を向けちゃったらしいよ」とのことでした。

 

 私達が宮中に上がると、小泉総理が待つておられて「たった今、『人格、識見ともに優れた方々を副大臣に致したいと思います』って陛下に内奏してきちゃったんだから、くれぐれもよろしく頼むぞお」。全員、爆笑でした。

 総理の内奏を受けられた後、陛下が官記1枚1故に御名を記して下さっているとのことで、総理と私達は控えの間にて、墨が乾くのを待つこと1時間余り。

 その後、私達は松の間に1人ずつ呼び込まれ、何とか作法を間違えることもなく無事認証を賜ることが出来ました。溝面に笑みをたたえられた陛下から、温かい労いのお言葉を賜り、目頭が熱くなるのを覚えつつ、全身全霊をかけて国家と国民の為に働く決意を致しました。

 皇居から官邸に移動して、第1回の副大臣会議、写真撮影、そして経済産業省への初登庁と慌ただしく時間が過ぎました。

 経済産業省は旧通商産業省で、私が平成11年まで政務次官として勤務した役所です。

 懐かしい11階のフロア一に着きましたら、夜遅い時刻にも関わらず、幹部職員に加えて当時の秘書官や特に仲良しだった職員の方々まで勢揃いで待っていてくれて、「お帰りなさ~い」と拍手と笑顔で迎えて下さいました。

 不覚にもまた目頭が熱くなってしまいましたが、「馴れた仲間や役所の環境に甘えていちゃいけない。現在の景況を考えると、明日からは戦争だぞ」と、冷静に自らを戒める思いも有りました。

 副大臣として、職員の皆さんの専門知識や見識、役所としての政策の継続性を尊重することは当然のことでありますし、私自身が行政府の幹部としての責任を負う立場でもあります。しかし、一方で国民の「代弁者」たる代議士としての視点と行動を忘れてはならぬと思っています。私達政治家は、足で集めた情報や納税者の声を参考にしながら自らのモノサシ(価値観)に照らして政策を組み立てていきます。そして、政策の「結果」については、選挙で審判を受けることが出来ます。

 そんな「政治家としての自負」から時には職員と激しい議論をしたり対立をすることもあるでしょう。それでも納得がいくまで十分に省内で議論を尽くし、対外的には「これが国家国民の為にベストな政策です」と全員が自信を持って責任ある見解を打ち出せる様に皆とカを合わせていきたいと願っています。

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