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「内閣不信任案否決」

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 加藤紘一さんの「ドラマ第一幕」はあまりにも呆気ない幕切れでしたが、内閣不信任案否決まで10日間の永田町は、まさに「阿鼻叫喚地獄」と化しておりました。
 賛成投票しそうな議員をつかまえては深夜までの説得工作。雲隠れして居所の分からない議員の自宅前で待ち伏せしたり、それでも議員本人が帰ってこないと奥様に泣き付いて説得を依頼、週末には議員の選挙区まで押し掛けて地方議員や後援者に説得を頼んだり。

 そんな中で熾烈を極めたのは「情報戦」でした。
 ある日、野中幹事長から私に電話がありました。「来週発売の写真週刊誌Fに、総理と暴力団の癒着の記事が出るという噂が広まってるんだよ。その暴力団は林という名前で、プロダクションも経営してるらしい。君は面識ないかい?」「プロダクション経営者で林さんってお名前は聞いたことありませんけど・・」「なんでも、森総理が昔、その林って人に『高市さんをテレビに出してやってくれ』と頼んだ、というのが記事の概要らしい」「ひえ~っ、なんじゃそりゃあ!」と叫んでしまいました。

 私が森さんと初めて名刺交換をしたのは平成2年のことでした。当時、まだ大学教員だった私がニュース解説のコーナーを担当していたテレビ番組に、森代議士がゲスト出演をされた日が初対面。つまり、私は森さんに出会う前に既にテレビに出演していたわけなので、森さんがプロダクションに私のことを頼むはずがないわけです。

 野中幹事長に、そんな事実はあるはずがないという事情を話した後、念の為に写真週刊誌F編集部に確認の電話をしてみました。なんと編集部の方も困り果てていました。
 「ガセネタですよ。ウチではそんな情報持ってませんよ。先日から、永田町でその噂を言い触らしている人がいるようで、自民党からも民主党からも問い合わせが入ってこちらも迷惑しています。きっと、不信任案可決の同調者を増やしたい陣営が、流れを変える為に流しているデマでしょう」おお、怖い怖い・・。

 また、総理がAPECに出発された翌日の朝刊にはこんな記事が出てました。「関係者によると、首相は安倍晋三官房副長官に『APECから帰ってきたら席がないかもしれないな』と発言」
 この記事を読んで、総理を支える橋本派や江藤・亀井派や森派内部からも「あんな弱気の発言をする総理じゃ支え切れないぞ!」と非難ごうごう。
 ところが、ブルネイから電話をかけてきた安倍副長官は怒り狂っていました。「僕と総理は新聞に出てるような会話は絶対にしていない。全くの捏造だ!」
 記事にある「関係者によると」がミソで、森総理に弱気のイメージを植え付けて主流派の結束を崩す意図を持った誰かがリークした情報なのでしょう。

 このアホらしいドタバタ劇の間、ちょっと笑えたのは民主党の若手議員達。「高市さん、まさか解散にならないよねえ。やっと当選出来てまだ半年なのに」そんなんやったら不信任案なんか出すなよおっ。

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