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「美しく強い日本」へ⑥:強い国土を創る必要性

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 平成21年の衆院選の際に配布していた政策ビラが、私の手元にあります。


 候補者が配布できる政策ビラは、大きさも枚数も法律で制限されています。
 よって、有権者に数多くの政策を伝えることは難しく、考え抜いた末に少数に絞り込んだ政策を書き込みます。


 私の政策ビラには、
「過去の想定を超える規模となっている集中豪雨に対応できるよう、河川・下水道の改修と路面改修を急ぐ」
「学校施設・医療福祉施設等の耐震化推進を継続する」
「高齢者・障害者・妊産婦等の災害時救援体制を強化する」
「災害防止に資する技術革新を進める」
「主要幹線道路の早期完成、情報通信基盤の整備に取り組む」
といった目標が書いてあり、貴重な紙幅の多くを災害対策に割いていました。


 当時、この政策ビラの評判は、最悪でした。

「あんた、頭がおかしいんとちがうか?」
「災害が少ない奈良県には、公共事業は不要でしょう」
「時代遅れ!」


 選挙事務所には、次々に厳しい意見が寄せられました。
 街頭演説中も、目の前でビラを破かれたり、罵声を浴びせかけられたり…とにかく散々な選挙戦でありました。


 衆議院解散前の国会審議では、民主党議員が「B/C」(ビー・バイ・シー=コスト・ベネフィット=費用対便益)という言葉を多用して、利用者数が少ない地方の道路整備等を不要なものだと喧伝していました。


 多くのマスコミがこの発言を好意的に取り上げ、報道番組では「猪しか走らない田舎の高速道路」や「偉大なる無駄遣いのダム工事」が特集されていました。
有権者が公共事業と名の付くもの全てに対して拒否反応を示すのも当然だと思える空気が、日本中に満ちていました。


 しかし、この頃の私は、奈良県各地の市町村長や地方議員たちから、「道路整備」「治水ダム整備」「河川改修」「土砂崩れ対策」などの予算要望を、数多くいただいていました。


 数年前から、南国のスコールのような激しい雨が突然に降り出すことが多くなり、県土の77%が山林である上、天井川(周囲の土地よりも河床が高くなった川)が多い奈良県では、土砂災害や水害の危険性が増していたからです。


 特に山間部の自治体では、災害発生時に多くの集落が孤立してしまうことを恐れ、迂回道路や崩壊しない高規格道路の整備を求めていました。
 多くは過疎地域ですから、民主党が主張する「B/C」という基準に照らせば「無駄な道路」ということになるのでしょうが、住民にとっては避難や緊急物資輸送に欠かせない「命の道」です。


 また、私自身は、三郷町長だった秋田新平氏(当時)と力を合わせて、新規のダム建設(大門ダム)を推進している最中でもありました。


 三郷町では、800年以上前に築造された巨大な池(大門池)の堤体が老朽化し、既に漏水が始まっていました。
 国土交通省からは「震度5弱の地震で堤体が崩壊する可能性」を指摘されており、東南海・南海地震が発生した場合の同町の想定震度は5弱から5強とされていました。


 私は、三郷町長とともに国土交通省に足を運ぶなど、工事予算を確保する為に奔走していました。
 池の下方には人家が密集しており、破堤した場合の惨劇を恐れたからです。人命への危険に加え、被害額も325億円に上ると試算されていました。


 その後、衆院選は「コンクリートから人へ」と訴えた民主党の圧勝に終わり、政権交代直後には「大門ダム」の工事も中止になりかけました。
 民主党奈良県連の「地域戦略会議」が、県から国への国庫補助要望を却下したのです。
 

 驚いた荒井正吾・奈良県知事が「人命に係わることだ。国が予算を止めても、奈良県単独で工事をやる」と啖呵を切って民主党に翻意を促して下さったお陰で、何とか政府方針により工事が出来ることになったものの、三郷町長ともども肝を冷やした時期でした。


 お蔭様で、大門ダムは、今年5月末に本体工事が終わり、今年度中には起動する予定となりました。
 しかし、長年苦労しながら進めてきた県内の幹線道路建設は、部分的に開通したところで先の見通しが立たなくなっています。


 昨年は、東日本大震災による惨劇に日本中がショックを受けた年でしたが、9月には、奈良県でも、台風12号によって多数の人命と財産が失われました。


 被災直後に奈良県南部の現場に入りましたら、古い橋梁や道路は崩壊し、電気・水道・電話・ケーブルテレビが同時に不通となり、一時的に多くの集落が孤立していました。
 しかし、自民党政権時代末期に整備した新しい道路・トンネル・橋梁が残ったことにより、かろうじて応急的復旧工事用の資材や食料等を搬送するルートが確保できていました。
 地元自治体が「命の道」の整備を求め続けてきたことの正当性を再認識した光景でした。
 

 同じく台風12号の被害が大きかったお隣の和歌山県では、砂防ダムが崩落した土砂を食い止めたことによって、多くの人家が被害を免れました。
まさに「コンクリートが人を救った」とも言える状況でした。
 
 もともと日本は災害が多い国です。
 地球上で起こるマグニチュード6以上の地震の2割は日本で発生していますし、台風の通り道であることや地形的特徴から水害も多いですね。


 「災害が少ないから都があった」「地震が少ないから世界最古の木造建築が残っている」などと言われる奈良県でも、斉衡2年(855年)の大地震では「大仏の頭部が落下した」との記録が残されています(真偽の程は不明ですが…)。
 平城京跡からは仁和3年(887年)の南海大地震の痕跡と見られる溝が発見されました。
 明治22年(1889年)の十津川大洪水では、生き残った村民の4分の1が、復旧を諦めて北海道に移住したと伝えられています。


 現在でも、消費税率引き上げに関連する議論の中で、「公共事業」に対する批判には根強いものがあります。
 景気対策のみを考えて無駄な公共事業を行う余裕など現在の日本にはありませんし、私自身も反対ですが、国民の生命を守る為に必要な事業については、何としても進めていかなければなりません。


 激しい気候変化や地震の多発に不安が募る昨今、政府には、耐震化事業や治水事業など防災上必要なインフラ整備、森林保全、大規模土砂災害のメカニズムに関する研究、監視警戒システムの確立、山や河川の形状に応じた適切な避難場所の再検討、防災教育の充実などに、真剣に取り組んでいただきたいと願います。


 私自身も、「国民受けする政策かどうか」「選挙に有利か不利か」などということは決して考えず、国民の生命を守る為に必要だと確信する政策については粘り強く訴え、勇気と信念をもって行動してまいります。

 

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