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格差社会論に思うこと

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 最近、「小泉改革の失敗で、格差が拡大した」と批判する評論家や野党議員のご意見を耳にすることが度々ですが、私は別の考え方を持っています。

 小泉首相は、「民間でできることは民間で」「地方でできることは地方で」と訴えて、大胆に規制緩和や地方分権の流れを創りました。
 私が大学生だった頃、つまり20年以上も前にも、テレビの討論番組で「規制緩和をするべきだ」「地方分権を急げ」と主張されていた政治家や評論家は沢山おられたのを記憶しています。それらの主張は、概ね「正論」として好意的に取り扱われていたと思います。
 しかし、実際に規制緩和をするとなると、許認可権を持つ省庁や行政に食い込んで既得権益を持っている企業や団体が強烈に抵抗します。戦後の中央集権体制・結果平等的諸制度の中でメリットを享受していた各主体を敵に回すことになりますから、自民党にとっては多くの支援団体の支持を失うリスクも大きく、歴代政権が着手しにくかった課題なのです。
 ところが、小泉首相は、抵抗や批判を恐れずに本格的に構造改革に取り組みました。

 特に、「構造改革特区」「市場化テスト」などの規制緩和は、「既得権益を持つ人だけが得をしない。多くの人にチャンスを与え、フェアな競争をしてもらう改革」、「知恵を出し、汗を流して頑張った人がチャンスを掴める改革」です。
 この流れが本格化すると、当然のことながら一定の格差は出ます。

 反対に、千葉7区の補欠選挙で民主党候補が訴えておられたような「格差ゼロ社会」が実現していたとしたら、小泉政権の規制緩和は失敗だったということになります。
 つまり、格差ゼロということは、「規制緩和をしたのに、誰もチャンスを掴めなかった」
「知恵を絞っても努力をしても、何もしない人と結果が一緒だった」ということだからです。

 そもそも自由主義経済社会でビジネスに失敗してしまったからといって、「負け組になったのは、政治のせいだ」などと言っていたら、経営者は笑われてしまいます。多くの経営者は、血の滲むような努力をして、会社と従業員の生活を守ろうと頑張っておられます。
 時には、大災害や貿易ルールの変更など、自分たちの努力で対応できない事態が起きてしまうことがあります。このような時に、政府系金融機関が特別な救済措置をとるのは当然の責務ですが、国税を投入して全企業の収益や給与が平等というような形を作ることは有りえません。
 一般家庭に目を向けてみても、高齢者世帯が増えていますから、現役世代との所得格差は当然に発生しますし、最近は高齢者世帯間の所得格差も取沙汰されています。

 私は、一定の格差が生じるのは当たり前のことだと思いますし、規制緩和が進むほどに格差が拡大する可能性も否めないと思っています。
それでは、国は何を為すべきか・・ということですが、私は、国が責任を持つべきは、「ナショナル・ミニマム」(国民生活・福祉の最低限度の基準)に尽きると思います。
 憲法25条は、「全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定しています。
 どんなに努力したいと思っていても、それが叶わない場合は多々あります。病気や怪我、障害や突然の失業など、自分の意思でどうにもならない状況下でも最低限度の生活を保障できる「セーフティーネット」を確保することこそが、政府の責任だと思うのです。
 「病気の妻の看病疲れで、老夫婦が無理心中」「母子が餓死」などというニュースに接すると、福祉行政には、まだまだ運用改善の余地があると感じます。

 しかし、「行き過ぎた結果平等」を目指して政府が過度な調整を行うと、勤労や創意工夫のモチベーションを奪い、経済活力は損なわれ、大増税なくしては福祉財源すら確保できなくなってしまいます。むしろ将来の格差の固定化に繋がります。
 政策を構築する上で、「福祉から就労へ」の視点は重要です。健康に恵まれているにもかかわらず、福祉施策を悪用して、他の納税者の負担で怠惰な生活をされている方の事例も少なからず耳にします。「自立したら損」「さぼり得」といった社会保障制度や税制では、真面目な納税者がバカを見てしまいます。

 次期政権には、ナショナル・ミニマムをしっかりと確保した上で、格差論に過剰に振り回されずに、構造改革による「チャンスの創出」は続けていただきたいと思います。
 本当に困っている人を皆で支えると同時に、能力に応じて「勤労」「納税」「社会保険料納付」などの義務を、広く薄く1人でも多くの国民が果たし、国を支えていける形を作るべきでしょう。

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