「ゆとり教育」は是か非か?
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先日、関西の放送局で「ゆとり教育の是非」をテーマにした討論番組に出演しました。
今年4月から小中学校では「完全学校5日制」と「新しい学習指導要領」が実施されましたが、まだまだ私の地元でも親御さんからの不安の声が多く聞かれ、その討論番組も、親の不安の声を取材したVTRを材料に進められました。
不安の声の主なものを挙げると、「学校5日制や教える内容を減らした新学習指導要領で日本の子供の学力は落ちないのか」「共働きの家庭では土曜日の子供の面倒が見れないので困っている」「土曜日に塾に行ける家庭の子と塾の費用が払えない家庭の子の学力差が心配」「私立学校は土曜日も授業をするから、公立にしか行けない家庭の子との学力差が出るはず」「主要教科の授業時間を減らして総合学習の時間を設けたが、担当する先生の資質によって差が出るのでは」「土曜日は地域社会で子育てをしようと言われても、住んでいる地域の自治会や子供会の熱心さで差が出てしまう」といったところです。
私も正直なところ、同様の不安を感じていました。特に、世界の動向や社会のニーズと文部科学行政との間に大きなギャップとタイム・ラグがあるのではないか、20年以上も前に「ゆとり教育」が唱えられ始めた頃と状況は変わってきているのではないか・・という不安です。
しかし、自分自身が国会議員でありながら、不安を解消できないままに新しいシステムのスタートを黙認してしまった責任は重いと思っています。
実は、4月1日からの新システムのスタートを目前にした今年3月、自民党総務会では学校5日制への批判が噴出しました。「来月から学校5日制になるらしいが、とんでもない話だ。資源のない日本にとっては人材が宝なのに、子供達の勉強時間を減らしてどうする」「日本の国際競争力を考えると自殺行為だ」「来月からスタートというのでは今更どうしようもないが、こんなバカな制度は半年で止めてしまえ」等々・・。
もうストップのかけられない時期になってから、どうしてこんな話になってしまったかを想像すると、殆どの国会議員が平成12年の省令改正(学校5日制実施の為の「学校休業日」の省令改正)を見落としていたのだと思います。学校の休業日を追加する案件は、文部科学省内の省令改正であって法律改正事項で無かった為、党内や国会の場で本格的に議論される機会がなかったのです。
昨年、私は衆議院文部科学委員長として、なんとかこの目前に迫った問題を集中的に議論する機会を作ろうと考え、必要な審議時間確保の根廻しをやってみたのですが、委員会開催には与野党理事の合意が必要で、結局、次から次に回ってくる法案審議をこなす以上の委員会開会のセットは無理でした。通常国会開会と同時に委員長交替となり、悔しい思いをいたしました。
しかし、例え昨年の委員会でこの問題を審議出来たとしても、手遅れだったでしょう。文部行政の方針が「ゆとり教育」へと転換されたのは、余りにも昔の事であり、それ以来進められてきた行政サイドの準備やそれを後押ししてきた世論を考えると、一部の国会議員が現在の状況や世論だけを捉えて騒ぎ立てても、長期に渡る大きな流れは変えられなかったのだろうと思います。
「ゆとり教育」への転換のきっかけは昭和51年12月の教育課程審議会答申でした。
私が高校1年生だった頃。答申は「児童・生徒の学習負担の適正化」と「ゆとりある学校生活のための授業時間削減」を提案していました。
そのねらいは、①人間性豊かな児童・生徒を育てること、②ゆとりあるしかも充実した学校生活が送れるようにすること、③国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視するとともに児童・生徒の個性や能力に応じた教育が行なわれるようにすること、とされていました。
これを受けて昭和55年から「ゆとり」学習指導要領が実施され、創造力の育成を目標に、小学校では7%、中学校では11%の授業時間が削減されました。
その後、昭和60年4月の臨時教育審議会第2次答申は「学校5日制への移行を検討」
することを求め、昭和62年12月の教育課程審議会答申は「学校5日制を漸進的に導入する方向で検討するのが適当」との結論を出しました。
これを受けて、平成4年9月から月1回の学校週5日制実施、平成7年4月から月2回の5日制実施・・と「ゆとり教育」は移行措置的に進められてきました。
平成8年7月の中央教育審議会第1次答申は「完全学校週5日制の実施は、教育改革の一環であり、今後の望ましい教育を実現していくきっかけとなるもの」「様々な条件整備を図りながら、21世紀初頭を目途にその実施を目指すべきである」としています。
かくして、21世紀初頭を迎えた今、予定通り、新学習指導要領と学校週5日制が実施されたわけです。
ゆとり教育へと舵が切られた頃に15歳だった私が、現在は41歳。余りにも長い時間をかけての新制度の完成であったこと、そして、私たち国会議員同様、国民の代表であり教育のエキスパートでもある専門家が論議を重ねた審議会の決定に基づいた新制度であること、そう考えると無力感を感じる国会議員が多いのも仕方がないかもしれません。
しかし、26年間の間に日本を取り巻く環境も変わっていて、審議会の答申や文部科学行政が1周遅れのものになっているのではないか・・との不安が払拭できないのです。
昭和50年代には、マスコミにも「学歴社会批判」「受験戦争批判」「暗記教育批判」「偏差値批判」「管理教育批判」等々が溢れていたように思います。それで「ゆとり」の必要性が指摘されたのでしょう。日本は経済も好調で、学校の授業時間を減らしたところで、多くの親は子供を塾に通わせることで学力の低下を防げたのです。
しかし、同じ頃、日本の追い上げに脅威を感じていたアメリカやイギリスは、国際競争の勝利者となることをめざして、むしろ日本型モデルへの移行を模索していました。
文部科学省の官僚である大森氏のご著書に詳しく書かれていますが、イギリスでは1960年代~70年代に「子供中心主義」「トピック学習」「個別学習」が流行り、読み書き・算術軽視の教育が行なわれていたといいます。その結果、生産性は低下し、失業率が上昇。その反省に立って、1988年に「教育改革法」が出来、全国共通テスト実施、学校別結果公表、学校選択自由化、学校予算は生徒数に応じて分配、といった改革がなされたそうです。
アメリカでも、1983年、レーガン政権のベル教育長官が「危機に立つ国家」を発表。1991年、ブッシュ政権のアレクサンダー教育長官も「2000年のアメリカ-教育戦略」を発表し、いずれもスパルタ教育とも呼べる壮絶な教育改革案を示しています。
80年代にアメリカに住んでいたので記憶にありますが、経営者は「日本的経営」を研究し、教育界においても「日本に学べ」「基本に帰れ」という流れが起きていました。
1997年2月、クリントン大統領は、一般教書演説で「すべての者が8才で読むことが出来、12才でインターネットに接続でき、18才で大学に進むことが出来る社会の実現」を訴えています。
現時点で、スタートしたばかりの学習指導要領や学校週5日制を直ちに覆すべきだとは決して言えません。現在、学校現場や地域社会は、この新しいシステムが子供達にとって「吉」という結果となるようにと、必死の努力を始めているからです。
今、国会議員に出来ることは、それらの取り組みをより充実させるための予算や法的措置を検討することでしょう。さらには、もしも「ゆとり教育」が学力の低下を招き始めているというデータが出たならば即座に、学習指導要領の見直しに向けて声を上げなければなりません。
文部科学省には、これからの数年間、毎年でも全国学力調査を行なっていただきたいと希望します。そして、過去の経過措置として進めてきた「ゆとり教育」の結果として、本当にその目的が達成されつつあるのかどうかの検証を行なっていただきたいと思います。例えば、ゆとりの時間が増えたことによって、本当に「人間性豊かな」児童・生徒は育ったか?本当に「充実した学校生活」は実現したか?本当に「創造力」は育っているのか?(私は個人的に、ゆとりが出来れば「創造力」が伸びるとは思っていません。むしろ、義務教育課程での徹底的な基礎知識暗記が創造力開発の最低要件だと思うので)
また遠山文部科学大臣が「生きる力」を身につけさせる必要性を主張され、文部科学省は「生きる力」を「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」と説明しています。私は、小・中学生の時期というのは「覚えるべきことを覚える時期」であり、文部科学省が求める「主体的判断」をする為には、そのモノサシとなるルールや事実を教えるべき時期ではないのか?と考えています。
子供達の可能性を伸ばすためにベストな教育の在り方、日本の国の将来にとってベストな教育の在り方、とても難しい問題です。「正解」が何なのかを断言することは誰にとっても困難なことですが、現在も1日1日、子供達は教育を受けているのです。
今回の新しい教育制度の成果や問題点を見極める努力を続けていく覚悟です。