「美しく強い日本」へ③:自由と権利に伴う責任と義務
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個人の自由と権利の偏重が、国際関係や安全保障などの次元で国家全体に影響を及ぼすことも起こり得ます。
平成16年4月に、イラクで邦人が人質になる事件が発生しました。
外務省は、平成15年2月14日以来、イラクに滞在する全邦人に対して「退避勧告」を継続して発出し、日本からイラクへの渡航については「どのような目的であれ延期」を勧告してきました。
さらに事件発生直前の8カ月間で合計27回のスポット情報を発出し、イラクにおけるテロ攻撃や誘拐の危険への注意喚起を行っていました。
しかし、ボランティアや絵本作成を目的としてイラクに入国した3名の方々が拘束されてしまったのです。
当時は、人道復興支援の為に自衛隊がイラクに派遣されており、犯人グループは「自衛隊撤退」を要求していました。
人質となった方々のご家族は、テレビ出演の度に当時の小泉内閣を批判し、自衛隊撤退要求を繰り返しておられました。
身内が生命の危機に直面しているわけですから、どんな手段を使ってでも救出したいのが人情です。
テレビ番組でのご発言も必死の思い余ってのことだったのでしょうが、私は、個人の無謀な行動の結果責任を国家に転嫁するトーンが過ぎると、国民の「同情」が「反発」に変わりかねないと感じていました。
救出に要するのであろう費用も、多くの国民の税負担で賄われます。
また、ご家族の発言内容が、犯人グループや他のテロリストに「人質を取ることの大きなメリット」を確信させかねないことも心配でした。
関連番組では、ここぞとばかりに「人道復興支援なら、自衛隊ではなくて民間人が行けばよかった」「政府は、戦闘地域でないから自衛隊を出すと言ったが、やはり危険だったじゃないか」という主張をする文化人が多数出現し、うんざりしました。
小泉純一郎首相(当時)は、イラクへの自衛隊派遣に際しては「危険が想定される地域だからこそ自衛隊なのだ」と明言していたはずです。
「安全な所は自衛隊機で、危険な所は民間機で」というひと昔前の変な国会論議を思い出しました。
小泉首相は、「既に決定され実施されている国策は、断固として変更しない」という姿勢を貫きつつ人質解放に向けた努力を続けられ、事件発生から8日目に3邦人は解放されました。
同年10月には、ニュージーランドからイスラエル経由でイラクに入国したバックパッカーの若者がテロ組織に誘拐される事件が発生しました。
この時も、小泉首相は「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と表明しました。
彼は無惨にも殺害され、最悪の結末となってしまいました。
この時、ご遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」という声明を発表されました。
深い悲しみの中で考え抜かれたのであろう言葉の重みに涙したことを覚えています。
当時の私は国会に議席を持っていませんでしたが、生命の危険が大きいと予想される地域に関しては「退避勧告」や「渡航延期勧告」ではなく、政府が強制力をもって「渡航禁止命令」や「退避命令」を出せるようにする法律案を書いて自民党に提案できないだろうかと思案を続けていました。
しかし、憲法第22条が全ての国民に外国への居住・移転の権利を保障していること、法の下の平等を規定した憲法第14条によってマスコミや政府関係者への例外措置が困難なこと、運用面でも第3国経由で危険地域に入国する国民を止められないことなどから、作業は頓挫してしまいました。
今後の新憲法制定によって必ずや「公益性重視」へと日本の法体系を変える決意でおりますが、私たちが自由を享受し権利を行使する場合には、それに伴う責任と義務を十分に認識することが大切だと考えます。